2025/08/15
「戦後80年に思う」<658>
昭和20年8月15日の終戦から本年で80年。
終戦時、私は2歳7か月だから戦争を理解して居ない。
父の喜作は新潟県の富山県寄りの地方駅勤務であったから小学5年生春までは鉄道官舎住まいだった。
二本木小学校の通学道路で出会うのは、軍隊では無く保安隊(今の自衛隊)の車が日本の治安にあたっていた。
自動車も少なく、通る自動車の香ばしい排気ガスの匂いを嗅ぐため自動車を追いかけたのを覚えている。
敗戦で日本は憲法9条で戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を制定し平和になった。
しかし80年経った今も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ(ハマス)など世界各地で戦争は絶えない。
自国ファーストの分断社会により、戦争による罪の無い市民の死と飢餓を招いている。
地球温暖化防止の国際協調は何処へやら、今年は史上最悪の猛暑に襲われている。
戦争回避や地球環境保護を目指す国連が拒否権を持つ大国により歪められ機能を果たせない。
猿が分岐して、現人類は穏やかな協調動物のボノボになったと習ったが、今は争いを好む自分ファーストのチンパンジー化したのか。
生まれた時に、おっぱいを飲みオムツをしていた子供が、大人になり罪の無い市民の命を奪い戦争する国家リーダーになるとは。
分断が悲劇になるのは人類の歴史が証明している。
人罪だけで無く、自然災害で苦しんでいる人がいるのに。
36年前(46歳)のときに人間の本当の勇気とは「優しさ」であると行徳哲男先生のBE研修で学んだ。
家庭と社会の教育のあり方が問われる。
国民に選ばれたリーダーは人の上に立つのではなく、人を下から支えるために存在するのではないか。
(写真)
自宅近くの花。
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