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「演説の極意について」<660>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/4、第64回TKC北陸原点の会に5回目参加して来ました。

今回の、高橋宗寛和尚の講話は、「演説の極意について」でした。

 

大乗仏教の教典の中に「金剛般若波羅蜜多経(金剛経)」というお経があります。

ある時、お釈迦さまが、弟子の須菩提(しゅぼだい)に、千人以上もの大衆の前で演説するときの心構えについて説きました。

 

経文によれば「云何為人演説。不取於相、如如不動」

とあります。

現代文に翻訳すれば「どのようにして、人のために演説したら良いのですか」との問いに対して、「相(そう)を取らなければ、如(にょ)の如く不動なのだ」とお釈迦さまは答えています。

 

私達が人の前で演説する場合、よほど馴れた人でもない限り、人の数とか、人々の眼とか、人の顔付きとか、その場の雰囲気とか、

会場を支配している熱気とか、いろいろな要素(それを相といっています)の影響を受けて、のどが渇いたり、足もとがガタガタ震えたり、声が震えてしまったり、思うことが半分も言えなかったりしてしまうのではないでしょうか。

 

それは、お釈迦さまに言わせると、眼や耳や鼻や皮膚や、はたまた自分の観念などから取り入れた諸要素に、自分がかき回されているからだということになります。

相(そう)を取らず、というのは、そういう諸要素を自分の心の中に取り込まない、ということなんですね。

 

眼で見たら見たきり、耳で聞いたら聞いたきり、鼻で嗅いだら嗅いだきり、皮膚で触れたら触れたきり、心の対象としての観念をもったらもったきりで、それらに更に自分の心の方から

、おまけを付け加えない。

 

別言すれば、それらの諸要素に自分の心を占領させない、ということなんですね。

 

ここに演説の極意があるのだ、そうすれば、心は如の如く不動なのだ、というのです。

如のごとく、というのは真如のごとく、という意味でしょう。

 

絶対の真理のように、微動もしないものなんだよ、とまことに親切に解明してくれているわけです。

 

人間は先入観や固定観念にとらわれ、新鮮に見ることができない。

 

「今ここ我」なのである。

 

 

(写真)

1、9/4 TKC北陸原点の会案内書

2、9/2  アルプ第30回懇親ゴルフ表彰式で古賀会長のエイジシュート祝い。

(私はダブルペリアで93人中18位)

「今こそ、野生の鴨になれ」<659>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/23に共助プロジェクトと一般社団法人能登の翼による共催で、「のと楽」会場にて開催された和倉温泉復興応援企画の「行徳哲男特別講演〜Rebornわくら〜 今こそ、野生の鴨になれ」を拝聴しました。

 

行徳先生にお会いするのは1989年(私の46歳のとき)に箱根のBE研修を受講して以来36年ぶり。

私のことも、うっすらと覚えていただいていて懐かしくお話でき楽しかった。

 

93歳の今も精力的に講演されておられる。

 

講演の骨子は、人間は逆境にあるときこそ成長する。

順風満帆のときは甘えて劣化する。

未見の自分を探求せよ。

野生の鴨はロシアから日本の4000キロも休まず飛び続け、ハングリーを乗り越えて楽園に辿り着く。

能登半島地震の逆境も飛躍のチャンスだと説かれる。

 

関連企画として

根上昌子医師による「和倉温泉Rebornウエルネスツーリズム構想・温泉医療と健康を融合した新しい観光価値の創造」、

一人一花in能登半島実行委員会による「一人一花in能登半島」プロジェクトの提唱があった。

 

8/24は輪島門前中学校での「絶望は希望への架け橋〜希望の翼in輪島」コンサートを拝聴。

 

2日間で懐かしい方や新たな出会いで有意義な受講だった。

 

 

(写真)

和倉温泉復興応援企画のイベント。

最後の写真は、行徳哲男先生からいただいた色紙「不撓不屈」。

 

「戦後80年に思う」<658>

昭和20年8月15日の終戦から本年で80年。

終戦時、私は2歳7か月だから戦争を理解して居ない。

父の喜作は新潟県の富山県寄りの地方駅勤務であったから小学5年生春までは鉄道官舎住まいだった。

二本木小学校の通学道路で出会うのは、軍隊では無く保安隊(今の自衛隊)の車が日本の治安にあたっていた。

自動車も少なく、通る自動車の香ばしい排気ガスの匂いを嗅ぐため自動車を追いかけたのを覚えている。

敗戦で日本は憲法9条で戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を制定し平和になった。

 

しかし80年経った今も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ(ハマス)など世界各地で戦争は絶えない。

自国ファーストの分断社会により、戦争による罪の無い市民の死と飢餓を招いている。

 

地球温暖化防止の国際協調は何処へやら、今年は史上最悪の猛暑に襲われている。

 

戦争回避や地球環境保護を目指す国連が拒否権を持つ大国により歪められ機能を果たせない。

 

猿が分岐して、現人類は穏やかな協調動物のボノボになったと習ったが、今は争いを好む自分ファーストのチンパンジー化したのか。

 

生まれた時に、おっぱいを飲みオムツをしていた子供が、大人になり罪の無い市民の命を奪い戦争する国家リーダーになるとは。

 

分断が悲劇になるのは人類の歴史が証明している。

人罪だけで無く、自然災害で苦しんでいる人がいるのに。

36年前(46歳)のときに人間の本当の勇気とは「優しさ」であると行徳哲男先生のBE研修で学んだ。

 

家庭と社会の教育のあり方が問われる。

 

国民に選ばれたリーダーは人の上に立つのではなく、人を下から支えるために存在するのではないか。

 

 

(写真)

自宅近くの花。

「大規模税理士法人の是非」<657>

7/24、日本税理士会連合会の第69回定期総会が帝国ホテルで開催された。

連合会役員は太田直樹会長(東海会)はじめ副会長(単位会会長)15名、理事100名、外部理事1名(早川眞一郎東大名誉教授)、監事15名、外部監事1名(澤野正明弁護士)の

133名。

7議案は太田会長議長のもと単位会15名の会長で議決された。

総会では、表彰規程に基づく表彰(953名)、日税研究賞(4点)、日税連金子宏賞(田尻吉正会員)が表彰された。

 

総会に先立ち、顧問相談役・執行役員懇談会が11時から開催された。

私も相談役として2007年7月総会から出席している。

来年は20年目になる。

 

出席者は顧問に神津信一前会長(池田隼啓元会長は欠席)、出席相談役は単位会会長経験者29名(46名中)。

 

懇談会では活発な意見交換があった。

その中心意見が、2001年の税理士法改正で創設され、25年経過した税理士法人についてであった。

 

税理士法人は無限連帯責任社員2名以上が設立の最低要件である。

ちなみに、公認会計士は有限責任監査法人である。

 

日税連制度部は次期税理士法改正に向けた論点整理の中で、税理士法人設立に1人社員を認めるようにとあり、相談役から異論が出た。

相談役会では、1人社員では法人化の意味が無いとの意見が多かった。

 

大規模税理士法人は事業承継先が見つからない事務所を次々に買収し、職員はたくさんいるが税理士はほとんどそこに居ない事務所がある。

 

地方の少ない職員で作成した税務書類は中央で集中管理しているという。

 

大規模税理士法人は全国に85拠点、スタッフ2,200人(うち税理士・公認会計士350名)になるという。

 

無限責任の社員が統括できる規模とは思えない。

 

相談役会では、税理士法人は社員数に上限を設けるべきではないかとの意見が大勢を占めた。

 

 

(写真)

1、日税連定期総会で太田直樹会長を挟んで金子秀夫相談役と。

2、懇親会で加藤勝信財務大臣を挟んで平野豊相談役と。

3、相談役4番目の席。

相談役全員紹介され会釈。

「Web集客やネット販売事例セミナー」<656>

7/23、石川県地場産業振興センターで石川県産業創出支援機構(ISICO)主催のセミナーを聴講した。

 

第1部

「カルチャースクール石心」代表の佃優子氏が「超アナログ人間の改革」と題して、高齢化で生徒減の危機を乗り越え、Web発信で生徒が2000人に!

挑戦し続ける囲碁サロンの取り組みを講演された。

佃氏は「いしかわ観光特使」もつとめている。

佃先生には日頃、囲碁の指導を受けているが、とにかく気づきと行動力の早さは抜群だ。

 

2019年 世界囲碁大会誘致。

2021年 ドバイ万博囲碁イベント出展。

2022年 将棋タイトル「名人戦」誘致。

2023年 将棋タイトル「王将戦」誘致〜藤井聡太を初の金沢へ〜。

2025年 大阪・関西万博の囲碁イベントで講演。

2025年7月 石川と日本文化普及事業inニューヨークを主宰。

 

ISICOの指導を受けて、デジタルネットへ動き、HPやJIMDO、ワードプレスへと先端SNSを事業に活かされているのは凄い。

 

第2部

「炎上を乗り越えて・農チューバーの挑戦」と題して株式会社林農産の林浩陽社長が講演。

チャンネル登録者3.4万人となったYouTube動画発信の取り組みと令和の米騒動に振り回された農家のネット通販裏話を拝聴した。

野々市市で農業不適地600枚でお米と餅加工を営み、ネット契約客の「かかりつけ農家」として安定経営されている。

 

お二人の講演には、ISICOの派遣専門家である中野治美氏と遠田幹雄氏の解説があった。

 

(写真)

・講演の様子。

「MMPG第179回全体会」<655>

7/9、ザ・グランユアーズフクイ(福井)で表題の会合が全国から94名の参加で開催された。

相談役として懇親会に招待あり挨拶をさせていただく。

MMPGは1985年4月に川原邦彦先生(2005.4.30ご逝去)が創設した学際的、業際的医業経営コンサルタントグループです。

創設から40年経ったんですね。

当社も創設から直ぐ入会している。

現理事長の川原丈貴氏が継承してから20年の節目を迎えた。

全体会も福井開催をもって全国都道府県で全開催されたとのこと、素晴らしい成果です。

 

過去、北陸3県開催は1985.10富山、2005.4金沢(第99回)だった。

 

金沢大会では北陸会会長として担当させていただいた。2005年4月7日を川原邦彦初代理事長は楽しみにされていたが直前に体調が悪くなり欠席された。

欠席のご連絡をいただいたお声は今も記憶に残っている。

4月15日に有志で新橋の本部へお見舞いに伺ったが、願い虚しく30日に66歳でご逝去された。

 

川原邦彦理事長には目をかけていただいた。

2005年4月にMMPGの専務理事に指名いただいた、遡ると1995年4月に日本医業経営コンサルタント協会の企画委員長に指名を受け、その後、2011年に会長就任までさせていただいた。

1995年10月には協会5周年記念の司会を担当した。

私の医業経営コンサルタント業界への役割は川原邦彦理事長のご指導の賜物である。

 

奥様ともども金沢を好まれ、たびたび金沢リンクスでゴルフをご一緒したことが思い出される。

 

 

(写真)

MMPG福井全体会にて川原丈貴理事長(右から2人目)、日本医療法人協会伊藤伸一会長(右側)、高橋雷太専務理事(左側)と。

「自利トハ利他ヲイフ」<654>

 

7/1、第63回北陸原点の会が開催された。

TKCの理念である「自利トハ利他ヲイフ」の起源について高橋宗寛和尚の講話を拝聴し、以下要点を列挙する。

 

・自とは、体は一つだが心は場面場面で変化する。

どれが本当の自分か?

・釈迦は王家の子に生まれ、17歳のときに結婚、29歳の時に妻子を残して出家し35歳まで修行した。

・飯塚毅初代会長は、16歳で禅の道へ、雲厳寺の植木義雄老師に師事する。

・本当の自分とは何か→自性徹見。

・肉体は残念ながら老化する。他人を固定化すると自分も固定化される。

思い込みの自分は自分ではない→自己探求。

・肉体は他者である。

・自利利他の利は一般的には利益や儲けを意味するが、仏教では利益(ごりやく)という。

・中村元事典には、利益とは仏の教えに従って得られる本当の幸福と。

儲け方ではなく、心のあり方。

利他の心。

 

「自利トハ利他ヲイフ」は今から1300年前に比叡山を開いた伝教大師(最澄)の言葉だと飯塚毅博士が著書「会計人の原点」で解説している。

 

高橋和尚が自利トハ利他ヲイフの裏付けを永平寺の僧と探した。

それは、道元の「正法眼蔵」にあった。

 

利益衆生

「いたづらに世間の欲楽を与ふるを利益衆生とするにはあらず・・・衆生を利益すといふは衆生をして自未得度先度他(じみとくどせんどた)のこころをおこさしむるなり」

 

すなわち、自分は未だ悟りの世界を得てないが、あったとしても他人に譲る。

自利利他の2本立てで私が他者を利益する。

自利利他円満。

(自→主体・一心、他→諸法・一切法)

 

・この道元の教えが、飯塚毅会長が「自利トハ利他ヲイフ」の根拠になったのではないかと、飯塚真玄名誉会長や坂本全国会会長も解釈されていると伺う。

利他自利→自利利他にしたのは能動的表現だと真玄名誉会長が言っておられたとのこと。

 

講話の最後に

石霜和尚の「百尺竿頭進一歩」

(無門関、第46)

を紹介された。

植木義雄老師から飯塚毅博士に悟りを許されたが、その際に、更に修行しなさいとの教えに引用された。

 

2時間の講話の後、金沢茶屋で「おさらい会」があった。

最高齢の私が乾杯の音頭をとり、楽しい歓談の場となった。

高橋和尚、明日は東京で講話されるとのこと。

全国を行脚されている。

 

 

(写真)

1、TKC北陸原点の会、高橋宗寛和尚のホテル金沢での講話。

2、金沢茶屋でおさらい会(左から2人目が高橋和尚)。

「TKC北陸たけし会」<653>

6/17、TKC前社長角一幸(すみかずゆき)氏から「飯塚毅博士から私が学んだこと」と題した講演を拝聴した。

久しぶりにお会いした。

飯塚毅初代会長と運命を伴に歩まれた方だ。

2011.12〜2019.12の8年間、社長を務められた。

TKCは創業者飯塚毅博士ならびに事実上の共同創業者である飯塚真玄(まさはる)名誉会長の強力なリーダーシップにより、創業以来51年にわたって成長発展してきた。

その成長の理由は、第一に経営理念「顧客への貢献」を掲げていかに厳しい状況下においても全くぶれることなくこれを貫いてきたことであり、第二に創業者による強烈な「トップダウン型経営」にあったと角氏は回顧する。

角氏は社長就任にあたり、マケドニア王アレクサンダー大王はリーダーシップとともにチームワークが歴史的な偉業を実現する鍵だったことを発見し勇気づけらた。

そして「チームワーク型経営」へかじを切ったのだった。

チーム型経営の懸念材料は経営なスピードが低下することだ。

これを乗り越えるには、日常的な情報共有と相互理解を徹底するしかない。

その必要条件は「迅速な報連相の徹底」であり、十分条件は「幹部社員の成長」となる。

常に関係部門間の情報共有と幹部社員の自己研鑽が重要だと言う。

 

講演後の懇親会では角氏の隣で思い出話に花が咲く。

 

司会者から飯塚博士との思い出をスピーチしてと言われ、博士が生前に「木村くん 動中の禅は静中の禅に優るんだよ」と諭していただいた逸話を話した。

 

2005年8月に発行された飯塚毅先生追悼集「自利トハ利他ヲイフ」の会員追悼文に掲載されている。

 

飯塚真玄名誉会長とは私の誕生日が11日早い同年という関係。

 

TKCの永続発展をこれからも願っております。

 

(写真)

1、角一幸前社長のレジュメ。

2、飯塚真玄名誉会長の小言。

3、追悼集「自利トハ利他ヲイフ」

 

「一期一会」<652>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月17日〜21日までNPO法人日本海国際交流センターで中国大連のアカシア祭りに出向いたが、多くの出会いがあった。

作詞家ヴォーカリストの椿れいさん、二胡奏者の李彩霞さん、韓国の趙度衡ご夫妻、ぶった農園会長佛田氏ほか。

 

椿れいさんは福岡県八女市出身で金沢と七尾に在住、58歳で歌手デビューして14年経つ。

CDをいただき拝聴したが人生から学んだ詩と歌心の素晴らしさは感動そのもの。

 

趙ご夫妻も大連に来られていて椿れいさんから紹介され16日〜17日の白山カントリー倶楽部のゴルフ予約をさせてもらった。

 

国際情勢が激動する中、民間交流だけは平和でありたい。

 

(写真)

1、6/13.長八で趙度衡ご夫妻、椿れいさん、金沢茶屋仲島氏と。

2、6/16.趙ご夫妻と白山カントリー倶楽部で。

「創業50周年を迎えて」<651>

1975.6.1に、勤務していた会社を退職し木村光雄税理士事務所を開業し、2014.10.1に税理士法人に改組し、2025.6.1で創業50周年を迎えた。

 

50周年を迎えられたのは、多くの方々との出会いと後継者に恵まれたお陰であります。

 

支えていただいた皆さまに感謝しかありません。

 

ありがとうございます。

 

 

(写真)

私の50年史。