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ある事業承継セミナーの一コマ 2017

今年の冬はとても寒く、今年は暖かくならないのだろうかと絶望しかけていたところ、このセミナーがあった日、弱弱しい日光ではあったものの穏やかな天候に恵まれました。

穏やかな天候と同様に、セミナーも暖かい雰囲気で進行致しました。テーマは、「事業承継の事例研究 ~ A氏の事例」。落語同様、いつもの十八番でした。写真は、「事業承継計画の立案は、重要でかつ緊急ではない」という説明の箇所です。

「重要度」を縦軸、「緊急度」を横軸にしたマトリックス。当然ではありますが、重要度かつ緊急度が高い仕事は、優先順位が上位となります。この事業承継セミナーをドタキャンした方は、このセミナーを緊急度が低いとみなして、他の仕事を優先したのでしょう(備忘録として、此処で、微かな笑い有りと記録しておこう)。

事業承継計画の立案は、重要度が高く緊急度が低い。相続が起これば、緊急度が高くなるが、経営権も財産権もすぐには承継できません。

経営権とは、人の承継であり、将来の新執行部の陣容もイメージしなければなりません。(此処は大事ですねぇ。現在の執行部の方も引き続き継続する場合、それなりの配慮をする必要があります。)

財産権とは、主に事業用資産の承継であり、他の法定相続人とも調整が必要です。

経営者は多忙です。優先順位をどうするか。事業承継は重要であるとどの経営者も考えています。ただ、緊急度が低い分、後回しとなる。これが事業承継問題の一つの原因と考えています。

「母・静子の父親・森田六三郎の生涯」<361>

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2月頃から3か月間、家系図づくりのため情報を収集してきたが、ほぼ終わった。

直系の先祖を調べるのは簡単だが、傍系にわたると容易ではない。

掲載する氏名は120名にのぼる。

 

4月24日に大宮市で杉田圭三氏(税理士)から一真氏に社長引き継ぎ会が開催されたが、その席で久方ぶりに創造経営の天明茂先生(私と同い歳)に会った。

天明先生の話では、成長する会社の経営者は家系図をつくり先祖に繋がる意識が強いと。

 

「創造経営の行動目標」

1、両親の願いを理解し、祖先の徳を受け継ぎ、家系浄化に取り組み、生きがい・働き甲斐を創造する。

2、変化の本質を見定め次世代のために職場の目標を掲げ、その実現できる人々を育てる。

3、関与先、その取引先の困っている問題解決のために調査研究と自己啓発を行う。

4、生活・職場・地域等のボランティア活動を積極的に行う。

5、職場・家庭生活で明るく俊敏に行動する。

 

~先祖があって今の私がある。~

 

 

私の母・静子の結婚までの家庭環境は、実父である森田六三郎の経歴を見ると分かる。

 

「森田六三郎の経歴」

 

・明治13年7月10日(今から137年前)…能美市岩内で森田六郎右衛門・乃よ の四男として生まれる。

 

・明治39年6月1日…26歳で北市屋甚六・えと(白山市美川町ソ28)と養子縁組し、甚六の長女「つね」(18歳)と結婚。

 

・明治39年7月25日…六三郎と「つね」に長女・「静子」(私の母)が誕生。

 

・大正2年8月7日…静子の母・「つね」が25歳で逝去する。(六三郎33歳、静子7歳の時)

 

・大正3年10月28日…六三郎、北市屋甚六と養子縁組を解消。

 

・大正3年12月31日…34歳で本郷ヨネ(富山市、本郷弥三吉・チエの二女)と再婚。

 

・大正6年8月14日…37歳で離婚(倶利伽羅にて)。

 

・大正8年9月2日…39歳で美川町から能美郡岩内り12番地に分家。

 

・大正8年9月10日…能美郡山上村の神田與四兵衞・りつの三女「ヒナ」と結婚。

 

・大正10年3月24日…長男・「清」が倶利伽羅(河北郡津幡町)で誕生。

 

・昭和2年3月25日…母・静子が21歳で木村喜作(28歳)と結婚。

 

その間、実母「つね」とは7年、継母「ヨネ」と3年、父・六三郎とだけ2年、継母「ヒナ」と8年、ヒナの子「清」と6年の同居だった。

気苦労が多かったことだろう。

 

・昭和2年8月15日…二女・「康子」が高松駅長官舎(河北郡)で誕生。

六三郎は国鉄マンで私の父親・喜作と職場が一緒だったので、父母の結婚に繋がっていると思う。

 

・昭和21年5月14日…66歳で逝去。

(金沢市大乗寺の墓にヒナさん、清さん、養子の外司さんと眠っている。)

 

・その後…長男・清は2年後(昭和23年)に27歳で逝去。

妻・ヒナは32年後(昭和53年)に85歳で逝去。

 

長女・康子さんは健在で現在89歳。

2月6日にお見舞いに行ってきた。

 

 

私は母方の祖父母・北市屋甚六と「えと」の墓参りがこの度の目的の一つだった。

 

兄・昭雄は昭和48年9月に父・喜作(当時74歳)、母・静子(当時67歳)、河北郡内灘町鶴ヶ丘の菊田芳枝さん(甚六・えとの次男由太郎の子)、能美郡岩内の前川田鶴子さん(六三郎の兄・市太郎の長女で母・静子と同い年)と五人で美川町にある墓に30年ぶりにお参りに行っている。

 

昭和5年に北市屋由太郎さん建立の「大心海」と刻まれた墓だそうだ。

その後年に、兄がお参りに行ったが見あたらなかったとのこと。

 

私は今回、美川町の墓地や寺を訪ね歩いたが、やはり見当たらなかった。

 

北市屋の姓が男子の後継ぎが無く断絶したことが原因だ。

 

母・静子の生誕地を訪れて見て、言い様のない郷愁を感じた。

同時に、墓石や菩提寺の大切さも実感した。

今回の先祖探しで、「白山市成町共同墓地」に吉光の後妻・祖母「せ津」の父・中村磯右衛門の墓石を見つけ、また、「せ津」の母・「ふよ」の父・小野三郎兵衞の墓石を見つけたのは感動的だった。

祖父・吉光の先妻・「いへ」の父母・高井忠兵衛・「いさ」の墓石も白山市村井町樋爪の「村井共同墓地」で見つけた。

 

墓石も多く拝見したが、その形はさまざまで先祖の足跡を残すためには法名、俗名、没年月日、没年齢を刻んだら良いと思う。

 

「家系図づくり」の探求心に火がついたが一段落した今はほっとしている。

 

離れ離れになっている子孫の顔合わせも我々親の努めだろう。

 

先祖の記録から繋がりを実感できて有意義だった。

 

役所や寺院をはじめ親族の方々のご協力に感謝申し上げます。

 

 

写真…5/13に、母・静子の母方・祖父母、甚六・「えと」の次男・由太郎と「よね」さんの子供・菊田芳枝さんの墓を訪ねて河北郡内灘町墓地に。

墓石は見つからなかったが可憐な花が迎えてくれた。

徳島県訪問2017 2画面活用と渦の道

徳島を本拠地とする税理士法人を訪問する。わたくしの友人が代表を務める事務所を見学させて頂いた。

全員がパソコンを使う。これは当たり前ですが、全員が大きなディスプレイを使っているところは当然ではありません。

税務申告書の作成の風景を思い浮かべてみましょう。使い方としては、財務会計をパソコンの画面で入力し、別のディスプレイ画面では科目内訳書を作成しているという具合。スタッフの方に聴いてみると、ディスプレイ画面を使っていない状態が思い起こせないくらい便利とのこと。

この2画面活用。先ずは、わたくしと総務あたりで試し、順次導入してみようと思います。

 

事務所見学の翌日は、高松に向かい、その途中で大鳴門橋の遊歩道「渦の道」を訪問。渦らしきもの(ジェットバスのように波立っています)が写真に納まっております。

バースデーカード2017

誕生日の5月5日(金)、47歳となりました。 その当日、散髪して、コーヒーを飲みながらゆっくり読書して贅沢な時間を過ごしました。

当税理士法人では、社員全員の寄せ書き入りのバースデーカードを該当者に朝礼時に渡すことにしています。私の入社以前からの毎年のポジティブなルーティン行事です。 「思いの視える化」の慣習だなぁとこのカードをじっくり眺めながら感心しております。そういえば、この寄せ書き、2か月くらい前から社員全員に回覧してます。中には、メッセージが思い浮かばず、あるいは多忙で後回しとなり、なかなか次の人に渡せないのだろうと推察しております。

そのカードには、 私への期待やメッセージ、中には褒め言葉が載っております。改めて、たくさんの人に支えて頂いていることを実感しています。

「買い物はネット宅配の時代」<360>

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ブログ「遊魚動緑」を2007年(平成19年)5月16日に始めてから10周年を迎えた。

北陸税理士会会長を退任した時期からである。

5のつく日に月3回、生活に刺激を与えてくれた。

 

 

4月28日に宅配便大手のヤマト運輸は、インターネット通販の拡大を背景に取り扱い量が急増し、負担が増したドライバーの労働環境の改善などを目的として構造改革策を発表した。

 

基本運賃の値上げは消費税増税時を除くと27年ぶり。

 

宅配便は生活用品・食品・農産物はもとより対象が拡がる一方である。

 

私も書籍・ワイン・へアケア用品、雑貨類などをインターネット宅配で利用している。

 

宅配利用のきっかけはネクタイを買いに行ってたデパートからブランド店が北陸から撤退したときからである。

 

国内宅配便の取り扱い量は年間40億個に達しようとしている。

 

運輸業・郵便業の就業者数は480万人。

 

宅配は期日や時間指定まで出来、便利性が極限に達していて改善が差し迫っている。

 

その最たるものが、再配達である。

 

全国で1日に200万件もあるという。

 

その改善策として「宅配ボックス」が普及しはじめた。

 

玄関先や駅に設置されている。

 

宅配は、世界一の高齢国家では暮らしに無くてはならないものになっている。

 

コンビニでも宅配サービスが始まっている。

サービスを拡大すればいつかは採算の壁にぶつかる。

 

サービスは昔の様に「タダ」では無く、お金で払う時代に突入したと言える。

 

安倍内閣は「働き方改革」で労働時間の縮減をさらに進めようとしている。

 

値上げしないと、量と時間コストのバランスを維持出来なくなる。

 

 

写真…パンジー(4/16鞍月セントラルパーク)

金沢弁護士会館での講師体験2017

先日、第三回合同士業勉強会に講師として参加しました。完全ボランティア(講師料は0円!)であり、各士業(弁護士、司法書士、社労士、税理士)の業界発展のため、全員手弁当で参画しています。

弁護士15名、社労士5名、司法書士2名、税理士2名(私も含む)の計23名での勉強会でありました。

テーマは、私の最近の専門研究テーマである「事業承継」。財産権と経営権とに分けて承継を科学的に分析、説明を致しました。

弁護士の方は、財産権中心の世界に生きています。経営権の承継を含む世界を俯瞰でき良かったとの感想を懇親会で頂きました。

なお、次回、講師を担当することになったとしても、今回と同じレジェメを使います。落語と同じ世界ですね。資料は同じであっても、毎回、本編に入る前の枕(まくら)は違います。

金沢弁護士会館での講師体験。ある短大での講師経験とは全く異なるものでした。女性生徒100人に無視(授業中の睡眠や私語)された劣悪な環境下とは全く異なるものでした。知的な人達と知的な時間を共有できて幸せな経験をしました。

「利益相反行為とは」<359>

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利益相反行為(りえきそうはんこうい)とは、「ある行為により、一方の利益になると同時に、他方への不利益になる行為である。」

利益相反行為はそれ自体、必ずしも法令違反とはなりませんが、しかし、利益相反により顧客の利益が不当に害された場合は、社会からの信頼を損ねます。

会社は適切なマネジメントを導入し、常に組織としてふさわしい社会的信頼を確保しなければなりません。

 

1、法人における利益相反行為

 

社団法人・財団法人の理事や役員、株式会社の取締役・執行役、持分会社の業務執行社員等(以下「理事等」という)が、これらの行為をすることは、法人と理事等の利益が相反する可能性があるため、利益相反行為に対して各法令で規制されている。

 

理事等が、法人との競業行為や直接または間接の利益相反取引を行う場合は、一般社団法人においては社員総会または理事会、一般財団法人においては理事会、株式会社においては株主総会または取締役会、持分会社においては他の社員全員(競業取引)または過半数(利益相反取引)の承認を得なければならない。

一般法人法…84条、197条。

会社法…356条、365条、419条2項、594条、595条。

 

学校法人やNPO法人・医療法人では、法人と理事の利益が相反する事項に関して理事は代理権を有しておらず、この場合、所轄庁や都道府県知事が特別代理人を選任しなければならない。

その他の法人に関しても、これらと同様の制限が存在する。

 

私立学校法…第40条の4。

特定非営利活動促進法…第17条の4。

医療法…第46条の4。

 

利益相反行為は次の行為のこと。

 

イ、競業行為

 

理事等が、自己または第三者のために、法人の事業の部類に属する取引のこと。

「競業避止義務」

 

 

ロ、利益相反取引

 

(イ)、直接取引

 

理事等が自己または第三者のために法人と取引をすること。

このうち、自己のためにする場合を自己取引という。

理事等が法人に物を売るような場合などで、理事等の利益(高いほうが利益)と法人の利益(安いほうが利益)が相反する。

 

(ロ)、間接取引

 

理事等が自己または第三者のために、理事以外の者との間において、法人と理事等の利益が相反する取引をすること。

この場合、法人側を代表する理事等は、利益が相反する理事自身でなくても該当する。

 

2、理事等の法人に対する損害賠償責任

 

(1)、承認を得ないで行われた利益相反取引によって法人に損害が生じたときは、任意懈怠があったとして、理事等は法人が負った損害について賠償責任を負う。

一般法人法…第111条第1項。

会社法…第423条第1項。

 

(2)、承認を得て行われた利益相反取引によって法人に損害が生じたとには、自ら取引を行った理事等のみならず、承認の決議に賛成した理事等もその任務を怠ったものと推定される。

一般法人法…111条第3項。

会社法…第423条第3項。

 

(3)、直接取引のうち、自己のために行った取引(自己取引)については、任意懈怠につき帰責事由がなくてめ、理事等は責任を免れることができない

 

一般法人法…116条。

会社法…第428条。

3、民法上の利益相反行為(法人ではなく個人の場合)

 

(1)、代理人の利益相反行為。

民法…第826条。

 

(2)、親権者・後見人の利益相反行為。

民法…第860条。

 

4、職務上の利益相反行為

 

分かりやすく言うと、依頼者から業務依頼があった場合、中立の立場で仕事を行わなければならない者が、自己や第三者の利益を図り、依頼者の利益を損なう行為のことである。

例えば、行為者Aが、ある会社Bの社員(役員・従業員)でありながら、Bの競争相手である会社Cと関係を持ち、何らかの形でAとCが利益を得ると共に、Bが不利益を被るようなことになる行為を言う。

 

業務上横領罪…刑法254条。

法定刑は10年以下の懲役。

 

背任罪…刑法247条。

善管注意義務(善良なる管理注意義務)…民法400条。

 

 

5、不正の発生要因と防止

 

・報告連絡相談の徹底。

単独行動や秘密裡な行動には要注意。

個人の利益を優先している畏れある。

予防策として複数担当制や定期の担当交代制を導入する。

 

・会社のルールを軽んじる傾向にある者に注意する。

個人主義が強く、不正が潜在化する可能性高い。

 

・生活が乱れ経済的に困窮していたら要警戒。

 

・特定のステークホルダー(利害関係者)との無届け飲食や私的交際。

 

・身辺が乱雑で、だらしなく、態度が横柄で批判的である。

 

・清掃・整理整頓・時間にルーズ。

 

(むすびに)

 

利益相反行為は人の道義的感覚が欠如していることに起因する。

法令に違反するしないの前に、理事等の登用にあたっては能力もさることながら人格本位で選任するのが大切だ。

 

写真…チューリップなど:鞍月セントラルパーク(4/16)

経営計画発表会にゲスト参加

私の友人(STLOWS会員)でもある会社の経営計画発表会に参加しました。

ゲスト代表として、5分ほど話をする必要があり、全社員の皆様に以前、当ブログでも紹介したしたシリコンバレー、テスラ・モーターズの話をしました。世界を変えるような使命の大事さについて説明しました。

 

最近、熟読している「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」によれば、サピエンスは虚構や想像により途方もない力を発揮してきた。そのおかげで、見知らぬ人どうしが共通の目的のために力を合わすことができる。

 

サピエンス(人類)が本当に存在する木やライオンについてしか話せないとしたら、国家や教会、法制度を創立するのは困難だったろう。過去数世紀の間の経済分野の主役、会社も想像の中にのみ存在している。

蛇足ながら、法人(Corporation)という単語は「corpus」という身体を意味するラテン語に由来している。法人には本物の身体がないにもかかわらず、法律が人格を与えている。

 

物語を語り、人々を説得してその物語を信じてもらう。会社が目指す方向に対し、社員全員が同じ方向に向くにはどうすれば良いか。歴史的には、国家や教会の成り立ちに大いなるヒントがあるようです。

 

入社式 2017

4月の幹部会議が始まる前、出席幹部と新入社員2名との写真を撮りました。

今年の採用は初物尽くしでした。初の広告媒体であるマイナビを活用。新グループ長が選んだ初の社員。

2018年度もマイナビを活用して、会社説明会を繰り返し実施しています。会計事務所の社会的な役割を辛抱強くこれもまた繰り返し腰を据えて説明していきます。

 

「父・木村喜作の生涯」<358>

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ここのところ、「家系図」を作るべく資料収集をしている。

父・「喜作」について、その足跡をたどってみた。

 

・1899年(明治32年)1月4日…父・「喜作」は「木村吉光」と後妻「中村せ津」の長男として松任市茶屋町(現・白山市)で生まれる。

 

その年には、父・「吉光」と先妻「いへ」との間に生まれた次女「為」(13歳)、吉光と後妻「せ津」との間に生まれた三女「すなを」(3歳)が居た。

 

吉光と先妻「いへ」との間に生まれた長女「つき」は11年前の明治21年に5歳で亡くなっている。

 

・1901年(明治34年)に喜作の弟である次男「友一」が生まれる。

 

・1905年(明治38年)に喜作の弟である三男「友作」が生まれる。

 

父・「喜作」は3男3女の長男で生まれたことになる。

 

・1905年~1911年…松任高等小学校。(卒業時12歳)

 

・卒業後「行商銀行」に就職

 

・1917年4月…国鉄に就職。(18歳)。

 

・1922年11月…「三日市駅」助役。(23歳)

 

・1923年3月…父・「吉光」67歳で死去。(24歳)

 

・1925年4月…「津幡駅」助役。(26歳)

 

・1927年3月…能美市岩内から白山市美川町の「北市屋甚六」に養子にいった「森田六三郎」と「北市屋つね」の間に生まれた長女「森田静子」(21歳)と結婚。(28歳)

 

・1927年4月…結婚の翌月、「美川駅」助役になる。(28歳)

 

・1928年9月…長男「昭雄」誕生(白山市松任町在住)。(29歳)

 

・1929年3月…「金沢駅運転掛」に。(30歳)

 

・1931年1月…長女「敏子」誕生(大阪府寝屋川市在住)。(32歳)

 

・1933年6月…母・「せ津」67歳で死去。(34歳)

 

・1934年9月…次女「道子」誕生(2002年死去)。(35歳)

 

・1936年3月…「筒石駅」駅長。(37歳)

 

・1938年に三女「富子」、1941年に「春雄」が誕生するが、それぞれ同年に死去する。(39歳、42歳)

 

・1940年3月…「市振駅」駅長。(41歳)

 

・1943年1月…三男「光雄」誕生。(44歳)

生まれた市振(いちぶり)は親不知(おやしらず)の一つ手前の駅。

難所を前にした宿で松尾芭蕉が一句詠んでいる。

 

「一つ家に 遊女も寝たり 萩の月」

 

・1943年7月…勳八等端宝章受章。(44歳)

 

・1944年3月…「関山駅」駅長。(45歳)

 

・1948年3月…「黒井駅」駅長。(49歳)

 

天皇陛下先導役をつとめる。

 

・1949年3月…「二本木駅」駅長。(50歳)

 

私・光雄が中郷小学校1年生から5年生の時に居た駅舎。

 

中郷小学校一年生(1949年4月入学)の担任は秋山光雄先生。

 

一年生の「教育連絡簿」を見ると、「行動の傾向」と「学習状態」はすべて「中」。

言ってみれば普通の子供。

 

「れんらく」の先生評には、「真面目に勉強するが、落ち着きが足りない様でございます。

好んで級の為に働き、たいへん素直なお子様です。」

 

二年生~四年生の担任は、江崎美智子先生。

五年生の担任は大塚正先生。

 

中郷小学校と二本木駅官舎付近は「私の心の故郷」だ。

 

スイッチバックの二本木駅と日本曹達二本木工場あたりが遊び場、遠足で筍狩りに行ったり、七夕祭りの飾りを小川に流したり、豪雪地帯なのでスキーで通学したり、運動会などの行事には駅長の父が挨拶に来たり、兎を級で飼っていたが私が与えた牛乳で亡くなったり、予備隊(自衛隊の前身)の車から出るガソリンの臭いを嗅いで追っかけたり、ターザンごっこをしたり、「カバヤキャラメル」のマークを見ておまけを当てて競ったり、パッチやメンコで友達と遊んだり、アイスキャンディーの棒でピストルをつくり輪ゴムを当てっこしたり、漆で顔中かぶれ包帯をして学校へ行ったり、小学校の丘にある小川未明の詩碑も懐かしい、スキー長距離走の宮尾辰男選手はオリンピックに出て村の英雄だった、厳しい父だったが文房具を買いたく駅舎に小遣いをもらいに行ったらすんなりくれたり、可愛がっていた仔犬「ポリ」の死、遅くまで遊んで父から家に入れてもらえなかったが母が別の戸からそっと入れてくれた優しさ、水飴と紙芝居、いただいた御菓子を分からないようにホジって父からこっぴどく怒られたり、父に連れられて出掛けたが私が溝に落ちて引き返すはめになったり、父の遣いでラーメン屋へお金を貰いに行き食べたラーメンの味、同級生の山崎くん・石黒くん・品川さん・大久保さんはどうしてるかな~。

 

学校が楽しかったのか、父が厳しかったのか、麻疹の公欠2日を含め5年間を無遅刻無欠席を通したのはかけがえのない思い出だ。

この習慣が高校までの13年間を無遅刻無欠席に繋がる。

 

・1954年4月…国鉄を定年退職。(55歳)

 

父が故郷である石川県白山市松任町に帰ったため、私も松任小学校に転校した。

 

六年生の担任は村田一典先生。連絡簿には7月~8月に先生と父の交信が残っている。

 

村田先生…「読む事は大変よい。近頃ようやく転校になれて身の入った学習をするようになりました。

もう一度復習するとまだまだ伸びると思います。」

 

父…「遠く離れて学校を移り気候風土習慣なども大変異なっておるであろうし困ることもあると思いますが、子供だけにあまり気に懸けていないので幸いです。

日を追って慣れるに随い友僚と親しむに伴い真剣に落ち着いて復習するのを待望しているのです。

先生に御迷惑とは思いますがお気付きの点、時折り御知らせ願いたい。」

 

父は定年後、鉄道弘済会金沢営業所(現・キヨスク)を8年間、大友楼(駅弁)に7年間勤めた。(70歳)

 

・1978年(昭和53年)4月7日…逝去。(80歳)

 

没後叙位叙勲…正七位・勳六等瑞宝章受章。

 

 

父の定年あたりで北陸新幹線の要望が出てきている。

2年前の開業を見たら感無量だったろうな。

 

父は背中で私に多くのことを遺してくれた。

厳しかったが、勉強せいとか大学に行けとか言わなかった父。

 

父が亡くなってから40年になろうとしているが、私は父を心から尊敬しているし、父の子供であることが誇りである。

 

 

写真…石川県庁の桜(4/8)