
年末調整の時期を迎え、2017年カレンダーの配布も開始しております。2016年も、もう少し。
皆様、年賀状の準備はいかがでしょうか。左の集合写真は、2017年の年賀状に記載されるものです。
3F研修室にて、前列9名(本部)、二列目11名(女性)、三列目8名、後列8名、合計36名の写真です。

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11月24日に金沢経済同友会主催で表題の会合が開催された。
「谷本正憲石川県知事のご挨拶」
・北陸新幹線金沢開業から1年8か月経過し、入客数は開業時から持続している。
とくに昨年の外国人数は36万人となり、平成15年の5万人と比較して10年で7倍となる。
10年後は100万人を目指したい。
・想定外だったのは、仙台を中心に東北からの入客多かった。
11月には仙台から大宮経由で臨時直通列車が走り3時間半で結ばれた。
・金沢港発着のクルーズ船が年間32回となり、来年は50回を見込んでいる。
利用客は県内30%、近県30%、首都圏から新幹線を利用を含め50%となっている。
・企業誘致数は北陸新幹線開通前後では3倍となる。
「意見交換会での質問と知事見解」
・新幹線ルートで石川県議会は米原案を議決しているが、金沢経済同友会としては小浜ー京都案を支持すると表明し、それに対し知事は重く受け止めると答えた。
また、同友会は中京方面へのアクセスが新幹線により不便にならないよう利便性の確保を求めている。
・金沢城「二の丸御殿」の復元については、二の丸御殿だけ写真が見つからない。
間取り図は発見されているので、年度内に絵図集を作成出版する。
・小立野の金沢大学工学部跡地に石川県立図書館の移転新築と金沢美術工芸大学(公立大学法人)の移転新築を6~7年かけて完成させる。
二つの施設の間に幹線道路を通し県民の利便性を確保する。
・2020年の東京オリパラに合わせて全国で実施される文化プログラムに向け石川県に「文化スポーツ部」を新設したいと。
・東京国立近代美術館工芸館の県内移転に関して、同友会側は収蔵品の中身が重要であると指摘したのに対し、知事は伝統工芸品を中心に所蔵品の半数以上を移転することで国と合意していると答えた。
また、施設の名称は本館の移転であることを強調し、分館の印象を持たれることがないよう国と協議したいと語った。
・「企業版ふるさと納税」に関しては、3社の誘致企業が内定しているとのこと。
この制度は、国が認定する地方創生事業に対して企業が寄付を行うと寄付額の3割に相当する額の税額控除の特例措置がなされる(平成28年度税制改正にて創設)。
現行の地方公共団体に対する法人の寄付にかかる損金算入措置による軽減効果と合わせて、寄付額の約6割に相当する額が軽減される。
・「のと里山海道」について、平成25年に全線無料化になったが、利用者が急増し10月には2名の死亡事故が発生した。
対面通行区間にセンターポール5倍に増やし、ポール周辺には車が走行すると警告音を発する「溝切り部分」を設けるため12月の補正予算案に計上した。
この石川県知事との見交換会は平成11年から開催され今回は16回目となる。
石川県として金沢経済同友会の意見を重視し施策に反映していると感じる。
席上、加賀屋の小田禎彦相談役にご挨拶に行った際に、石川県への外国人観光客で台湾が一番多いことについてお話したら小田さんから次の話があった。
能登空港は2003年7月7日に開港し13年経過した。
台湾と能登空港との直行チャーター便は300便になった。
台湾から能登空港に到着したさいは、加賀屋から通訳などさまざまなお世話をするために行っている。
台湾加賀屋とのスタッフ交流も行っている。
板前の修行は7年かかるが、日本人は辛抱が弱いけど台湾人はしっかりしているとおっしゃっていた。
集客は陰の努力の積み重ねがあって初めて実現するのですね。
政財界の協調が地域の発展に必要不可欠であることを実感した。
写真…デンマークカクタス(自宅玄関)
先日の幹部会議において、アンケートの実施を決定いたしました。そして、アンケートがほぼ回収され、大事なお客様の貴重なご意見を頂きました。お客様の声が五臓六腑にしみわたっております。
その中で、痛感したのが、タイトルの「クイックレスポンスの大事さ」であります。今期の計画書に以下のように方針を書きました。絵に描いた餅とならないよう、実行していきたいと思います。
会計事務所は、お客様にとって唯一のアンテナであり、よろず相談者である。そのアンテナを錆びつかせないようにする。お客様はピッチャーであり、我々担当者はキャッチャーである。クイックレスポンス(即答)が満足のすべて。お客様の投げた球(質問)を1秒でも早く返すことでクレームはなくなる。
当社のノートに、質問事項を記入し、回答したら、チェック欄に印をつける。こういうルーティンを各人が確実に身に着けることが肝要でしょう。
「木村経営ブレーン」グループの第35回定時株主総会。
社員が陪席する中、計算書類、剰余金処分等株主の方から承認をいただきました。
この規模で株主総会を開催している会社は少ないとは思いますが、お客様の模範会社でありたいという思いで毎年、開催しております。
年末を前に重要イベントが終了し、ホッと一息です。


11月16日に「金沢両輪会」主催の講演会で鈴木大拙館館長・木村宣彰氏の講演を聞いた。
「鈴木大拙の歩み」
金沢時代…0歳(1870年・明治3年)~20歳
東京時代…21歳~26歳
米国時代…27歳~39歳
東京時代(学習院)…40歳~50歳
京都時代(大谷大学)…51歳(1921年・大正10年)~90歳
米国時代…80歳(1950年・昭和25年)~88歳
鎌倉時代…88歳~95歳(1966年・昭和41年)
1963年(85歳)、「ノーベル平和賞」の候補となったが国際赤十字社が受賞している。
鈴木大拙のことを加藤周一(1919~2008)は「日本文学史序説」の中で次のように評している。
「今日まで大拙をこえる人は一人ない」
あらゆる時代の日本人のなかで、知的または精神的に、日本国の外の世界にもっとも広く、もっとも深い影響を与えたのは鈴木大拙である。
その意味で彼を抜く者は、今日までのところおそらく一人もない。
日本国内でその影響は、どういうものであったか。
大拙には直接の弟子がなかったが友人があった。
国内での最大の影響は、親友西田幾多郎(1870~1945)の哲学にあらわれている。
彼が生きたほとんど一世紀にも及ぶ長い生涯は、日本文化と西洋文化との対決の時期に重なっていたから、前者にとっての仏教の意味の確認は、また同時に後者に対してその意味の主張でもあった。
著作の半分を英語で書いた大拙は、単に禅を外国に紹介したのではない。
彼は禅を対象化し、それが「日本的霊性」の集約的な表現であることを、普遍的な言語で叙述したのである。
「大拙と関係のあった方」
夏目漱石(1867~1919)…鎌倉・円覚寺の釈宗演から居士号を授与された。「大拙」は27番目、「漱石」は233番目である。
1893年(明治26年)、シカゴ万博と同時に開催された万国宗教会議での釈宗演(34歳)の講演録を英訳したのは大拙(23歳)である。
大拙はそれを「夏目漱石さんに見てもらった」と自叙伝で語っている。
坪内逍遙…大拙の英語の先生。
その時分に大拙がおかしいと思ったこと。
英語では犬猫は四本の足を「持つ」と言うが、日本語では「ある」と言う。
西洋の人たちの考え方の根本には所有欲が強くある。
所有欲はつまり権力だ。
大拙の影響を受けたエーリッヒ・フロムは
「持つ」(to have)を「過去、未来」、「敵意、不安感、死ぬことの恐れ」につながり、
「ある」(to be)を「今ここ」、「共存、安心感、生きることの肯定」につながると。
「鈴木大拙の思想(大拙の著書から)」
・東洋は非合理主義、西洋は合理主義だというが私はどちらでも良いと思う。
人間はどちらか一つで生きてゆけるのでないから、そうして実際は非合理と合理の間で、何となくかじ取りを都合よくやってゆくのだから。
なんでも一つにきめてかかろうというのが、よくないのだ。
・西洋の人々は、物が二つに分かれてからの世界に腰をすえて、それから物事を考える。
東洋は大体これに反して、物のまだ二分しないところから考えはじめる。
・二分性で人間生活を割り切るべきではない。
東洋的な考え方、感じ方、それは無意識であってもなんであってもかまわない。
それを護り立てることによって、二分性文化の不備を補足していかねばならない。
・何事も「二」にして「一」て、「鳥の両翼」「車の両輪」の如くでなくてはならない。
一方を欠くならば目的の清涼地に到ることはできない。
・日本は世界に対抗させて島国根性を押し出して、安直な、軽薄な、浅はかな愛国主義に終始してはならぬのである。
石川県が生んだ世界的な思想家・哲学者、鈴木大拙と西田幾多郎はともに明治3年生まれ、金沢の第四高等中学校に学んで、生涯深い交流を続けた。
今年は大拙没後50年にあたる。
写真…1、インパチェンスの花(11/18、自宅近くで)
2、芦原温泉「灰屋」の庭園(11/21、第32回碁游会で滝口九段に4子局7目勝ちで4年半ぶりの勝利)
先日、TKC北陸政経研究所の活動として、宮本周司氏の事務所を表敬訪問。平成29年度税制改正等要望書を説明致しました。とくに、平成31年(2019年)10月までに、インボイス方式ではなく従前の帳簿方式とする改正と単一税率とする改正について要望致しました。
我々の要望を受けて、宮本氏から、以下のようなお話を頂戴し、私見を交えてまとめてみました。
はじめに
割賦販売法の改正により、ICチップが義務化された。目的は、クレジットカードの不正を防ぐためだ。欧米は、クレジットカード文化であり、2020年のオリンピック・パラリンピックに備え、海外の訪問客に対応する動きが加速する。
インボイス方式及び軽減税率への対応
要望のとおり、従前の帳簿方式とする改正と単一税率とする改正にむけて動いていく。ただ、平成31年10月まで時間があるので、先ずは、補助金(写真のレジェメ参照)を活用して、改正に備えて、レジ導入や受発注システム改修をしてはいかがでしょうか。これは宮本氏の有りがたい提案。聴けば、1,000億円ほどの財源があるので、今のところは財源には不安ない。しかしながら、平成31年10月の間際になって駆け込み需要があるかもしれない。財源に余裕のある今、対応することが賢明でしょう。
レジもない現状
東京の市場でさえ、レジもなく、お客様から頂いたお金をザルに入れている小規模事業者も少なくない。地方においては、ザル派の方も多いだろう。蛇足ながら、ザルのお金は翌日、そのまま銀行へ持参して第三者の方に売上金額を記帳して頂けば良いだろう。ただし、ザルのお金の中から、お金を持っていっていないということが当然ながら前提。何か支払でお金が必要だからといって、いちいちお金が消えては、正確な売り上げ金額が不明でしょう。
まとめ
レジではなくザル派の事業者の方。または、古―いレジを使っている方やクレジットカードに対応していない事業者の方も同様。海外の訪問客はクレジットカードを使って買い物をする。これから、日本もクレジットカードを多用していくことでしょう。消費税の改正に合わせて、レジシステムを一新し、補助金を活用するのはいかがでしょう。
最後に、未上場株式の相続税評価について、なんとか軽減できないかどうかも要望致しました。これについては、引き続き、継続要望していきます。

11月9日に金沢経済同友会が山野之義金沢市長との意見交換会を開催した。
最初に表題のテーマで金沢市長から説明があった。
その要旨は次のとおり。
・入込客数(金沢市を含む4市2町)…過去最多1,006万人(平成27年度)。
・兼六園の外国人入園者数…平成24年の11万人から平成27年は2.5倍の29万人に。
今年1月から10月末までの10か月間に兼六園を訪れた外国人旅行者は約31万人と過去最多となり、国別では台湾13万人、香港3万人、中国1.7万人と上位を占めている。西欧ではイタリア人が1万人でトップ、続いてフランス人、スペイン人と続いている。
・金沢21世紀美術館…入場者数ランキング全国第8位(237万人)。
第一位はディズニー、3,019万人。
第二位はユニバーサル・スタジオ、1390万人。
第三位は上野動物園、396万人。
・鈴木大拙館には年間6万人が訪れた。
・56の支社・支店が新設(H26.10~H28.7)。
・2020年に東京国立近代美術館工芸館の金沢市へ移転。
同年に「国際工芸サミット」の開催。
・第2回「金沢マラソン2016」を10月に開催。1万3千人参加。
・2020年の東京五輪・パラリンピックの「文化プログラム」に向けて今年度中に推進本部を設置。
意見交換会で金沢経済同友会からコンベンション施設に関して質問したのに対し、市長は金沢歌劇座と金沢ふるさと偉人館を含めた改築案を提示した。
新幹線が開通してから1年8か月経過して、今の課題は観光客と市民生活の調和である。
(11/10、北國新聞朝刊5面に山野金沢市長の向こう正面に私の禿げ頭が写っている。
隣は畠先生と今井先生。)
写真…11/12、金沢駅西広場のドウダンツツジ。駐日本国大韓民国大使館・崔仁洵参事官と日韓友好税理士連盟ご一行にご挨拶したときに。
北陸新幹線敦賀ー大阪のルート案、いよいよ絞られてきました。東海道新幹線の代替、金沢ー新大阪の所要時間が短い(1時間19分)等の理由から小浜ー京都をつなぐルートが有力と地元紙(北國新聞)が報じました。
一方、米原ルートは、建設費(5,900億円)や工期の短さ(10年)など費用対効果が最も高く、こちらも採用の余地はまだまだあると解説が続く。
前回のブログ(11/6)で登場した麻生氏も、財政投融資で大阪延伸を着実に進めたらいいというような主旨の発言もしていました。年末まで延伸のニュースに注目しています。
さて、先日、業界(税理士)の先輩から興味深いことを拝聴しました。話の面白くない人の特徴はと問われ、一言。「自分のことしか考えていない場合、間違いなく、つまらない。」「言い間違えないように、かんだらいけないなど考えているということは相手のことをまったく眼中に入れていない、つまりそういうことだ」と。
すーっと私の心のど真ん中に入ってまいりました。利他、相手のことを思い話す。そうすれば、相手に伝わると思います。
自民党金沢支部政経セミナーに初めて参加してきました。
講師は、写真左のとおり、麻生太郎氏と今井絵理子氏。
講師お二人のオープニング登場の曲は、今井氏が所属していたSPEEDの「White Love(ホワイトラブ)」!1997年のヒット曲であり、当時、よーく、カラオケで聴きましたね。麻生氏曰く、「こんな歌知らねーなー」とユーモアたっぷりに語ると会場は大盛り上がり。
麻生氏の講演では、失言に注目するも、手堅く経済について語る。過去、イギリスはシティで、アメリカはウォール街で金融にて経済を発展させてきた。そして同時に大きな失敗もしてきた。日本も金融サービスで経済を発展させるのか。
私見ながら、金融よりもモノづくり、技術で日本経済を発展させることが大事ではないか。麻生大臣は、石川県の地元の二社を取り上げる。天池合繊株式会社(七尾市)の「天女の羽衣」や株式会社BBS金明(白山市)などの技術は世界に通用している。麻生大臣は、この日本という国を愛しているし、期待しているんだなーと強く思いました。一方、今井氏も障害を抱えた子供に対し、強烈な愛情を感じました。
普段は、政治とは距離を置いて生活をしていますが、たまーに政治家の話を聴くと、勉強になりますね。

今年3月に初めて芦原温泉「灰屋」での碁苦楽会に参加し、今回は10月29日~30日の長野県上諏訪温泉「ホテル山王閣」が会場だった。
会長の兵頭俊一氏は囲碁をこよなく愛し、お世話いただいている方である。
全国から47名の方と対局ソフトの2名(?)が参加した。
指導棋士は牛力力(にゅうりぃりぃ)五段(牛栄子女流棋士の母)。
案内書に囲碁上達講座が掲載されていたのでご紹介。
「囲碁の根本理念」
1、碁は一手づつ交互に打ちながら、最終的に相手より多くの地を獲得した方が勝つゲームである。
2、これを実現するための方策は、一手ずつ交互に打ちながら、着手の効率差を生み出すことである。
3、効率差を生み出すための手段は「戦いを起こすこと」。
具体的には「相手側の捨てられない弱い石の集団を作り、それを上手く攻める」ことである。
攻めれば、相手は抵抗ないし反発してくるから、必然的に戦いが勃発するが、準備万端整っている黒は有利に戦う事ができる。
単に地を囲う(守る)着手の連続からは効率差は決して生まれない。
4、常に意識しておくべき「戦いを有利に展開できるための諸条件」
(1)、戦いは自分の縄張り内で始めること。
(2)、対局意識としては「勝つことよりも負けないように」を心がける。
(3)、構想的には「自分の理想形を目指すよりも、相手に理想形を作らせない」。
(4)、「捨て石の活用」を意識すること。
(5)、最も効果的な戦法は「絡み攻め」である。
(追記)、私がトップアマから聞いた一言。「まず、手抜きから考えよ」。
「碁苦楽会」の歌(元歌=大川栄策の「碁」の替え歌):作詞 兵頭俊一
一) 石の働き、形勢判断、戦う意識を忘れずに 守り三分で七分は攻めよ ミスを犯せば負けになる これぞ碁道の極意なり
二) 布石の精神(こころ)は模様を張って 相手の侵入ウェルカム 上下左右にうろうろそて 逃げた時には勝負オワ これが勝負の秘訣なり
三) 右に打たれりゃ左に注意 上に打たれりゃ下を見よ 敵の思惑さらりとかわし 手抜き、捨て石、振り替わり これも、これも勝負の秘訣なり
四) ひと隅死んでも投げたりしない そのうち相手もミスをする シチョウ、ハメテや絡みに攻めて 相手(てき)の大石碁臨終 これぞ、これぞおいらの勝負技
五) 東西南北 日本の各地から 集いし碁キチが50人 年に二回の逢瀬を期して 日ごろ精進 碁精進 われら、われらホンマの碁苦楽会員!
(繰り返し)
われら、われらホンマの碁苦楽会員!!
囲碁の歌があるなんて、ホンマ嬉しいですね。
<元歌> 「碁」の歌
歌:大川栄策
作詞:石本美由起
作曲:安藤実親
編曲:佐伯 亮
一、呑めば呑むほど心が冴えて 指先ばかりが 重くなる 見えぬ定めに逆らいながら 無限手数の先を読む 命、いのち削るか 勝負石
二、思案あぐんで眠れぬ夜は 寝返りうつたび 盤上の 白と黒との 小さな石に 命燃やして鬼となる 俺の おれの心は 石に聞け
三、気合、気迫の 真剣勝負 邪念のつけ入る隙はない 勝って輝け 明日に進め 新手一生打つ石に 夢が ゆめが開ける 囲碁の道
私がブログ<319>で「碁の歌」をご紹介したら、後日、神戸の方から電話をいただいた。
「木村さんのブログで碁の歌を知りました。実は随分以前から長崎にいる親父から碁の歌があると聞いているけど分からないから探して欲しいと頼まれていましたが、なかなか見つかりませんでした。
木村さんのブログで、やっと見つかりました。ありがとう。」と。
私からは、碁苦楽会でこの歌を知ったことをお伝えした。
縁の不思議さを感じた次第です。
30日の午後に「りんご狩り」とワイン醸造メーカーを訪ねた。
このブログは10月28日、大宮で「関東信越税理士会の峯村福督(みねむら よしまさ)顧問の逝去(享年87歳)に伴うお別れの会」に出席し帰りの新幹線でインプットしている。
平成13年にお会いしてから何かとご指導いただいたすばらしい人格の税理士先生でした。
とくに、峯村先生が「日本税理士厚生年金基金」の理事長をされていたときに、私は「資産運用委員長」としてお仕えした
また、日本税理士会連合会の筆頭副会長としてもお役目を果たされた
お別れ会の後、熊谷先生、清水先生、阿部事務局長と近くの寿司屋で「献杯」する。
ご冥福をお祈りしますとともに、ごゆっくりおやすみください。
合掌。
写真…信州塩尻の「五一ワイン」、海抜700メートルの丘陵地帯「桔梗ヶ原」で105年前に開園。
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