北國がん基金、北國愛のほほえみ基金にそれぞれ20万円づつ、合計40万円を寄託させていただきました。
利益を社会還元する目的で、2009年から始めて8回目の寄託となります。
記事にあるように、これからも利益の中から寄託していこうと思います。
北國がん基金、北國愛のほほえみ基金にそれぞれ20万円づつ、合計40万円を寄託させていただきました。
利益を社会還元する目的で、2009年から始めて8回目の寄託となります。
記事にあるように、これからも利益の中から寄託していこうと思います。
7日、標題による金沢経済同友会のシンポジウムが開催され参加した。
8月5日~21日の17日間はブラジル・リオデジャネイロ第31回オリンピック競技大会、9月7日~18日の12日間はパラリンピックが開催された。
水泳、体操、レスリング、柔道、卓球は大活躍。
バドミントン・女子ダブルスで高松コンビが金メダルをとった時は感動した。
日本が獲得したメダル数は史上最高の41個だった。
意外と知られていないのが「オリンピックの文化プログラム」だ。
「オリンピック憲章」には、五輪の期間中に複数の文化プログラムを計画しなければならないと開催国に実施が義務付けられている。
前々回のロンドン大会(2012年)では1千か所以上で約18万件の事業が行われている。
東京五輪にむけては20万件を目標にしている。
パネル討論では、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、文化イベントを金沢で開催するよう求める声が上がり、文化立県を掲げる石川に芸術や文化支援の組織「アーツカウンシル」を設立するよう求めるアジェンダ(行動計画)を採択した。
時あたかも、東京五輪までに「東京国立近代美術館工芸館」の本館を金沢に移転することが決まっている。
工芸館が入る施設は、兼六園周辺文化の森にある旧陸軍の第九師団司令部庁舎や偕行社の外側部分を移築し活用する計画である。
東京の現工芸館にある3,682点のうち、美術工芸作品を中心に半数以上を移すとしている。
石川県は人間国宝9人(東京、京都に次ぐ)を擁し、日展入選者数(100万人当り)が69人と日本一である。
2018年には金沢市で日中韓の都市交流事業「東アジア文化都市・金沢」や2020年には「国際工芸サミット・石川」の開催が予定されている。
石川の取り込みが文化プログラムの教科書になり、金沢から新しい風が起きることが期待される。
写真…砂漠に咲く薔薇「アデニウム」(9/2・かなざわ石亭)
第8次5か年(2012-2016.9)の5年の事業発展計画書をざーっと読み返すと、この5年間も多くのことを経験致しました。
振り返ると、この5年間も苦労の源泉は人であり、喜びの源もまた人でありました。
何も出来なかった社員が、お客様に役立とうと一生懸命に働いて、人格を陶冶(とうや)していく。このような何人もの過程が私の心の琴線に何度も触れ、改めて、事業の目的は人材育成にあるとの確信を持ちました。
というわけで、10月より、第9次5か年計画(2016.10-2021.9)がスタートします。
9月2日(金)の終日、金沢のオフィスを離れ、七尾市にて社内提案力コンテストを実施致しました。
今年は、会社に対する提案が多く、会社を皆でよくしたいという思いが伝わってきて、人知れず、感動をしておりました。
企業も成長の段階で、経営企画室の設置を致しますが、今回の提案力コンテストでは、総務機能の拡充がまさに論点となったのでした。
今回、CSRや業務改善、アンケートやホームページ、セミナーなどの企画という新しい役割を委員会が担い、また、その委員会も再編するという提案でありました。次の幹部会会議にて、検討します。
研修の後は、加賀屋で七尾湾を一望できるお風呂を堪能し、コンドミニアムスイート和倉にて宿泊。会食後も、部屋のみで大量のアルコールを頂きつつ、皆で話し込んだのでした。ちなみに、私は、着の身着のまま寝てしまい、気づけば朝でした。。。

8月21日に開かれた「碁盤開きと佃亜紀子五段を囲む会」で中澤忠義氏と私が対局しましたが、その棋譜が8月29日~31日、北國新聞夕刊の「お好み囲碁対局」に掲載されました。
解説・佃亜紀子五段、観戦記・佃優子師範です。
ご指導ありがとうございました。
いつもながら恥ずかしい差し手ですが、佃亜紀子五段から四子でご指導いただいた棋譜も合わせてご紹介します。




写真…自宅の花壇(8/27)
先日、スペイン(フィンランド航空、ヘルシンキ経由)に行く機会を得て、プラド美術館(マドリード)を訪問。
ベラスケスの「ラス・メニーナス」(女官たち)をじっくり鑑賞することができました。(左記写真は、プラド美術館で販売していた名作100選 140-141頁。館内撮影禁止。)
翌日、バスにて、古都クレドへ移動し、サント・トメ教会を訪れる。
そこで、グレコの「オルガス伯の埋葬」をこれまたじっくりと鑑賞。(此処も撮影禁止であった)
世界三大名画の3分の2を、スペインで鑑賞、堪能できたのは僥倖でした。まだ鑑賞していない、残り3分の1は、アムステルダム国立西洋美術館に所蔵されているレンブラントの「夜警」。行きたいリストの上位にランクイン(急上昇!)。
ある見解では、世界三大名画にルーブル美術館にあるダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を含めているようです。なお、あまねく人口に膾炙している「モナ・リザ」は、2007年8月20日、鑑賞済み。

8月21日に木村経営ブレーンの茶室と研修室で標記の行事を開催させていただいた。
お誘いの案内は事務局を担当していただいた佃優子師範にお願いした。
「この度、碁縁があり、7月18日に石川県で開催の囲碁タイトル戦[碁聖戦]での碁盤を私が新調し提供致しました。私の素晴らしい知人友人の皆様方に、その碁盤をぜひお披露目をさせていただきたく思います。
また、25年間お付き合いある先生[佃亜紀子五段を囲む会]も発足し、同日のゲストとしてお招きし、楽しいひとときを皆様と共有致したい所存であります。」
ご出席いただいたのは、佃亜紀子五段、佃優子師範をはじめ、JPBM同好会囲碁クラブ(東京)から3名、昨年8月に「本因坊道策と秀策の地を訪ねて」のツアーでご一緒した3名、本年6月の「カナダ囲碁交流の旅」でご一緒した2名、そして税理士仲間の4名の方々に参加していただいた。
県外から4名と、お忙しいところおいでいただきありがとうございました。。
この碁盤は6月1日に大阪の井上製作所に出向き購入したもので、井上詩子代表には親切なご対応をいただき感謝しております。
井山裕太七冠は金沢での第41期碁聖戦五番勝負第2局に勝利した後、7月28日の第3局にも勝ち3連勝で5連覇を達成して「名誉碁聖」の資格を獲得し、全七冠を堅持した。
「名誉碁聖」の資格獲得は、大竹英雄名誉碁聖、小林光一名誉碁聖に次いで史上3人目。
井山碁聖の名誉称号は6月に獲得した「26世本因坊」に続き二つ目となる。
記念となる「碁盤開きと佃亜紀子五段を囲む会」が盛況裡に開催でき、これも佃姉妹をはじめ皆様のお蔭と心から感謝しております。
この日、私のダブルブッキングのため、石井幸夫税理士先生(千葉県)の叙勲祝賀会を欠席してしまう事態となった。
なお、私と中澤忠義氏の対局棋譜は29日の北國新聞夕刊に掲載されます。
この碁盤はこれからも囲碁の世界でお役に立てれば幸いである。
写真…井山全七冠の同時達成記念の扇子(7/2祝賀会にていただく)
最近、言葉はその人の思考を投影するということを感じています。私自身、これまで「税金をとられる」と言う言葉を使ってきました。
「税金をと(盗)られる」という表現は、税金計算を生業とする我々としてはどうなのかなと最近、強く思うようになってきました。「税金を納める」が正しい表現です。そのために、今後、正しい税金の使途を政治家へ働き掛けていきたいなと思います。お客様の発展を通じて、地域や日本も良くしていきたい。こう強く思います。
また、お金(節税)だけの話は、場を息苦しくするような気がします。片手に電卓、もう一つの手には、事業計画(夢やロマン)を持てたらと思います。

7月22日に開催されたJPBM(一般社団法人日本中小企業経営支援専門家協会)の「創立30周年記念大会・全国統一研修会」に参加した。
標題のパネルディスカッションを受講する。
[パネリスト]
1、「炭屋旅館」女将・堀部寛子氏
京都の老舗旅館御三家の一角を担う、創業1910年で本年で106年。
旅館を始める以前鋳物を商っていた当時、多くの家元を集め茶会を開催し、大正時代に入ってからは旅館の営業を始め、茶会をはじめとした京文化の粋と風情を広めている。
2、「若林仏具製作所」取締役相談役・若林卯兵衛氏
創業天保元年(1830年)京都で創業し本年で186年。
京仏壇・京仏具の歴史と伝統を守りながら、芸術性や更なる品質を高める新しい独自技術を開発、常に進化を続けている。
「朝に礼拝 夕に感謝」を社是として荘厳仏具を製作。
3、「山ばな平八茶屋」20代当主・取締役会長 園部平八氏
天正年間(1576年)創業し、本年で440年。
若狭街道(通称:鯖街道)の街道茶屋として、御所より一里の山端(やまばな)の地に創業。
かって旅人は、ここで一服のお茶と”麦飯とろろ”をかき込んで旅路についた。
以来”麦飯とろろ”を大切に守りつつ、時代に合わせて、川魚料理~料理旅館~若狭懐石・本膳料理と必要な形を取り入れてこられた。
4、株式会社黒江屋・12代当主 柏原 孫左衛門氏
正保二年(1645年)に京都五条で京呉服や小間物の仕入販売の店「柏屋」を創業して371年。
「江戸店持京商人」として経営の多角化を図っている老舗。
その家業の一つである漆器販売の黒江屋は日本橋で元禄二年(1689年)に創業。
「浮利を追わず薄利多売」で「信用」を重視。
現在は紙販売・漆器販売・ビル賃貸業が経営の三本柱。
[コーディネーター]
ダンコンサルティング株式会社・代表取締役(税理士)
塩見 哲氏
40年にわたり中小企業の目的である「継続」をテーマとして、経営戦略の立案や事業モデルの構築や企業診断・再建計画・出店戦略・人材教育など、経営資源の活性化に関するコンサルティングを行っている。
[受講の感想]
塩見氏の明快なコーディネートで、何百年も続いている老舗企業の企業継続の秘訣を聞いた。
老舗企業経営者が語る共通の言葉は、「不易流行(ふえきりゅうこう)」と「身の丈経営(みのたけけいえい)」、そして「人材育成(じんざいいくせい)」だった。
「不易流行」の意味は。
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しい変化を重ねているものを取り入れていくこと。
また、新味を求めて変化を重ねていく流行性が不易の本質である。
「不易」はいつまでも変わらないこと。
「流行」は時代時代に応じて変化すること。
その対応には経営者の大局感が求められる。
大局感には社会経済界への洞察と「自利利他」の経営感覚が必要だ。
写真…記念品に配られたパプリカ(宮城県登米市の農業生産法人I・LOVEファーム社製の唐辛子の栽培品種)
最近、言葉はその人の思考を投影するということを感じています。私自身、「仕事をとる」と言う言葉を使ってきましたし、今でも時折使います。
「仕事をとる」という言葉自体、自分の評価はあっても、相手への感謝があるのかと、最近、気になっております。ある人は、「仕事をとる」を「仕事を盗る」と聴こえるらしい。(笑)
仕事は頂くものであり、自力が1であれば、他力が9ぐらいかなと。こう思います。
物理的にも自分で自分を持ち上げることは決してできません。自力が非力で1であったとしても、自分以外の人のために生きることができれば、他力が集まり、自身のパワーとなる。最近、こう確信しています。
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