第42期事業発展計画発表大会で全社の方針を確認しました。
そして、全社員が、過去の振り返りと未来の挑戦を宣言しました。
昨年の税理士法人設立を機に、9月末決算と致しました。
おかげさまで、今年の10月1日より、第二期目となります。ありがとうございます。
第42期事業発展計画発表大会で全社の方針を確認しました。
そして、全社員が、過去の振り返りと未来の挑戦を宣言しました。
昨年の税理士法人設立を機に、9月末決算と致しました。
おかげさまで、今年の10月1日より、第二期目となります。ありがとうございます。

シルバーウィーク5連休はいかがお過ごしでしたか。
私は「日本棋院中部総本部囲碁ゼミナール」、「第4回小川修のアート5・7・5展」、「オーケストラアンサンブル金沢・モーツァルト最晩年の名作・井上道義×辻井伸行」、「山崎達文氏講演・加賀藩御細工所のものづくり精神」、「三桜美術展:21美術館」、「全国表装作品展:しいのき迎賓館」、「コマツオープン見学」、「日本税理士国民年金基金代議員会」、ゴルフなどと多彩なスケジュールでした。
19日にジャズ「中村誠一カルテットwith紗理」を聴きに行きました。
7回目を迎える「金沢JAZZ STREET」は「まち全体をジャズで彩る」ため、「まちなかでの開催」、「学生の参加」、「伝統的空間の活用」をコンセプトにしている。
金沢市内中心部11会場で150を超えるライブ演奏を開催された。
昨年は3日間に9万4千人が参加したとのこと。
JAZZ観賞のあと「よし坊」で金沢おでんを賞味する。
「金沢おでんの唄」が最近売り出された。
作詞、嵐山光三郎。作曲、中村誠一。
「金沢おでんの唄」
一 ぶらりぶらぶら片町ゆけば
おでんの匂いが流れてくるよ
人情しみてる大根の味が
ぐつぐつぐつぐつ鍋のなか
おでん おでん おでん
二 ぶらりぶらぶら茶屋町行けば
着物のねえさんが歩いていくよ
さくらとこぶしの友禅染めで
今夜のデートはおでん屋へ
おでん おでん おでん
三 ぶらりぶらぶら近江町へ行けば
カニの仲間が手招きするよ
ハンペンさといも すじ煮込み
わたしも一緒に煮てくださいな
おでん おでん おでん
四 ぶらりぶらぶら金沢ゆけば
泉鏡花が歩いてきます
滝の白糸こんにゃくいれて
高野聖を煮込みましょう
おでん おでん おでん
楽しい唄ですね。
歌詞の中に出てくる泉鏡花は、明治6年~昭和14年(63歳)の金沢生まれの作家で尾崎紅葉に師事し、怪奇趣味と特有のロマンチシズムに富んだ作品を著し、多くの作家に影響を与えた。
「高野聖」は明治33年の作品。
「滝の白糸」は泉鏡花の小説「義血侠血」を原作とする新派劇やドラマ、オペラの作品名。
TKC北陸会第32回秋期大学に参加する。(ゴルフ委員長を拝命し、翌日のコンペは盛会裏に終了)
講師の二宮清純氏から、リーダーのあるべき姿を教示頂いた。
イタリアのサッカー教本の最後の最後に登場する言葉が、il bello dorso (凛とした背中)。
凡百の失敗するリーダーを見てみろ。自らの表情には興味を持っていたが、自らの背中の状況の確認を怠った愚か者たちの屍の群れだ。
子供は親のどこを見て育っているのか知っているか?
生徒は教師のどこを見ているのか?
選手はコーチや監督のどこをみているか?
部下は上司のどこをみているか?
それは顔ではない。背中なんだ。
il bello dorso. よきリーダーたらんとする者は、まずもってよき背中を持て。
背中とは、その人の鏡であり、人間性、知性、品格、愛情、全てが表れるところ。
生きている間はずっとよき背中を持つための修行期間。
行動こそすべて。リーダーの資質を学びました。

4月に来訪の野口哲英氏からいただいた著書「医者いらず金いらず」の中に表題の記述があった。
この著書は(株)日本医療経営研究所の野口哲英代表取締役が著者で聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏が監修している。
「良い医師の選び方」
1、遠慮せず何でも聞ける自分に合った相性の良い医師。
2、コンピュータの画面ばかり見ないで、正面切って人の目を見て話をする医師。
3、すぐ検査や薬漬けにしないで患者を人間としての尊厳をもって誠実に診る医師。
4、話し上手よりも聞き上手の医師。
5、薬や治療法を定期的に見直す医師。
6、病院で担当医師が年中変わるところは避ける。
7、マスコミやホームページなどで派手なパフォーマンスをする医師は避ける。
8、一応の検査をしてすぐ入院とか、手術をせまる医師を避ける。(ドクターハラスメント)
9、医師や病院に疑問を持ったらセカンドオピニオン(他の医療機関や他の医師の意見)を求めよう。
診療記録や画像検査データ付きの紹介状を書いてもらう。
10、健康保険で認められた医療のみでは治療に限界があり、絶対的とは言えない。
ガンや生活習慣病に対しては、代替医療の可能性を否定しない医師を選ぶ。
11、ガンなど現代の西洋医学が万全の治療法ではないことを認める医師、例えば患者がサプリメントや代替医療など、他の治療法を受けていることを医師に告げても、はなから否定せず検査などを行って数値が改善しているか否かアドバイスしてくれる医師。
12、治療が難しくすぐ治らない病気に対して、世界で行われている最新医療の知識を持っている医師。
13、総合診療ができるかかりつけ医師を持とう。
14、医師の肩書き(教授、准教授、講師)や出身大学にとらわれず、人間性で判断する。
15、病医院の清潔度はトイレを見れば分かる。絵や花が飾ってあれば気配りが感じられる。
この内容は野口氏の体験や見聞に裏付けられているようだ。
良い医師とは患者の身体と心理の両面に配慮して最善の手段を尽くす技術と人間力を兼ね備えた先生だと思う。
写真…越中八尾にて
9月11日(金)の終日、金沢のオフィスを離れ、七尾市にて社内提案力コンテストを実施致しました。
次の幹部会会議にて、企画採用するかを決めたいと思います。
吉田G:相続コンシェルジュ
上梨G:事業承継(財産権)ツール
早川G:医業アンケート
竹田G:採用・女性活用
坂井G:営業の仕組み化
企画採用されるかどうかは置いといて、来年も継続してモニタリングしてきます。
はるか遠くへ続く道。歩んでいきたい。心一つに。
研修の後は、加賀屋で七尾湾を一望できるお風呂を堪能し、コンドミニアムスイート和倉にて宿泊。会食後も、部屋のみで大量のアルコールを頂きつつ、皆で話し込んだのでした。。。

恩送り(Pay it forward)の趣旨で、第103回目、カナモン朝活@シナジーの講師を務めて参りました。
忘恩の徒の誹りを逃れるためもあります。
主催者は、私の盟友である浅尾氏。中小機構の窓口相談からのご縁です。
浅尾氏が大学生の頃からですから、5年ほどになります。
20代の浅尾氏に、恩送りの意味で、恥ずかしながら、目標設定やら3年日記の効用などなどを話してきました。。。
【テーマ内容】私の志 【日 時】9月3日(木)7時15分〜
https://www.facebook.com/events/583156401822153/

9月2日に「越中八尾風の盆」に行って来ました。
平野豊先生のお世話で清水武信先生ご夫妻(狭山市)、山岸貞司先生、高雅美先生(山口市)とともに観賞させていただいた。
途中、砺波市の厳照寺の門杉、栴谷神社(せんだんじんじゃ)の綽如杉(しゃくにょすぎ)、いづれも樹齢450年以上の巨木を訪ねた。
昼食に庄川の「川金」で温泉に入り、旬の鮎料理を堪能した。
八尾に入ったときには前夜の豪雨はなく、皆で「嵐を呼ぶ男」と雑談していたが、私も内心ホッとした。
褒章・叙勲祝賀会で寒波や台風に見舞われたのが発端だ。
人口8千人の八尾町に観客が3日間で30万人集まるという。
19時から21時まで、おわら演舞場で5支部の競演を観賞。
幽玄な胡弓の音色とおわら節に合わせたきびきびした男踊りと華麗な女踊りは圧巻だった。
民謡「越中おわら」は三百年の歴史をもち、叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ哀調の中に優雅さを失わぬ詩的な唄と踊りだ。
9月1日~3日は二百十日の厄日に、豊穣を祈る「風の盆」として継承されている行事だ。
「おわら」の語源は諸説あり、「おわらひ」という語を差し挟んで唄ったのが「おわら」に変わったという「お笑い節説」と豊年を祈り藁の束が大きくなるようにとの思いから「大藁」が転じて「おわら」になったとの「大藁説」などがあるそうな。
おわらの歴史は古く元禄の頃といわれている。
「越中おわら」 唄の詞
越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ
八尾よいとこ、おわらの本場、二百十日を、オワラ、出て踊る
唄の街だよ、八尾の町は、唄で糸とる、オワラ桑もつむ
三千世界の松の木ア-、枯れても、あんたと添わなきゃ、娑婆へ出た甲斐ががない
竹になりたや、茶の湯座敷の、ひしゃくの柄の竹に、いとし殿御に持たせて、汲まれて、一口、オワラ、呑まれたや
春風吹こうが、秋風吹こうが、おわらの恋風、身についてならない
写真…おわらガイド
メディカル・マネジメント・プランニング・グループ(MMPG)編「医師・歯科医師のための相続と事業承継の実務ポイント」(平成25年10月改訂版)がほぼ売り切れたようです。8,000部発行して、完売。一冊500円なので、売上400万円也。印税は、研究会の皆の総意で、赤ワイン代として早々と消えてしまいました(笑)。
先日、MMPG税制会計研究会の打ち合わせがあり、来年早々に改訂版を作成することと相成りました。。。

8月17日~19日に広島県尾道市因島の秀策囲碁記念館、島根県大田市馬路の道策生家、世界遺産・石見銀山、出雲大社を訪ねた。
このツアーは日本棋院の主催で、同行した指導棋士は佃亜紀子五段(金沢「石心」主宰の佃優子先生の妹さん)。
参加者は東京、大阪、名古屋、新潟、金沢などから19名。
金沢からは熊谷さん、中山さん、谷口さん、福島夫妻と私の6名。
岡山駅からバスで出発し、山陽自動車道~しまなみ海道~尾道自動車道~松江道~山陰自動車道~尾道米子自動車道~中国自動車道~岡山自動車道を通り、岡山県、広島県、島根県、鳥取県をぐるっと回遊し、また、ガイドと添乗員の名調子で楽しく過ごせた。
囲碁は中国で生まれ、七世紀に日本に伝わり日本文化として根付いた。
「枕草子」の清少納言(966~1025)や「源氏物語」の紫式部(970~)も囲碁が登場している。
江戸時代に囲碁の世界を席巻した棋士が道策と秀策である。
第四世本因坊道策(1645~1702)…350年前の江戸時代。
7歳の頃から囲碁を習い始め、習ったことに答えられないと、母が裏の井戸に連れて行き、頭から冷水を浴びせたと言われています。
13歳の時に江戸に出て、囲碁の四大家元の一つ「本因坊家」に入門。
内外に敵無く、13段の実力があったと言われている。
年に一回行われる御城碁(江戸城の将軍の前で行われる碁)において十四連勝し、33歳の時に第四世本因坊に就任するとともに、「名人・碁所」に推挙された。
平成16年に日本棋院において実施された第一回特別囲碁殿堂表彰において、満票で殿堂入りが決定した。
本因坊とは、戦国時代末期、京都寂光寺の僧で日海という碁の名手が現れ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。
家康は日海を江戸に招き、名人碁所に任じ50石を五人扶持を与えた。
日海は寂光寺の一搭頭の名、本因坊を号とし算砂と改名したのが名称の始まりであり、以後、昭和の初めの第二十一世秀哉まで続き、秀哉没後は選手権の名称となっている。
現在は、第二十五世本因坊趙治勲。
道策(幼名山崎三次郎)のお墓参りもさせていただいた。
第十四世本因坊秀策(1829~1862)…200年前の江戸時代。
秀策は因島に生まれ、「150年来の天才碁豪」と言われた。
わずか9歳で日本最高峰の本因坊家に入門し、20歳で第14世本因坊跡目を継承。
御城碁では空前絶後の19連勝無敗という偉業を成し遂げるも、34歳の若さで亡くなった。
母の訃報から百日の精進に入り椎茸だけを食べていたことで体力が落ちていたところにコレラにかかった。
それにもかかわらず本因坊家の人びとの看病をして彼自身が倒れたのである。
因碩との対局での妙手「耳赤の一手」は伝説となっている。
見学先の記念館で、「碁ランテア」の方と交流対局をしていただいた。
佃亜紀子先生から色紙をいただいた。
「楽未央」…楽しみ未だ尽きず。
石見銀山遺跡「龍源寺間歩」では1万歩かけて散策した。
出雲大社では「島根県古代出雲歴史博物館」を佃亜紀子先生とともに観覧した。
また、「八雲そば屋」で食べた「三種そば」も美味しかった。
有意義な囲碁ツアーでした。
写真…19日鳥取県、蒜山(ひるぜん)道の駅で。

投手と打者の二刀流、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手。ご縁のあるコンサルタントより、花巻東高校時代の曼荼羅シートを紹介頂く。大谷選手が高校1年生のとき、「ドラフト1位で8球団から指名される」ことを目的に掲げた。
その目的を達成するために、何をすべきか書いた表がこの曼荼羅シート。
テクニカルなスピード等の項目の他に「運」を挙げているのが興味深い。「運」の落とし込みに、「応援される人間になる」や「ゴミを拾う」、「審判への態度」などがある。経営にも十分参考になる曼荼羅シートです。
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