今年も全員で曼荼羅を書き、内容を発表しました。
何を考えているか、個性が思わず出てきます。
新年号のSTLOWS誌にも紹介しました。
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(K氏の事例)
曼荼羅シートとは、『仕事・人格・学習・社会・健康・家庭・経済・余暇』の8つの項目の中から、今年一年特に大切にしたい項目順に優先順位を各自つけ、それぞれの項目ごとの、今年の目標及び目標を達成するための行動を掘り下げて記入する、といったものです。
当社が曼荼羅シートを導入した目的としては、全従業員のそれぞれの個性の理解、また、今年一年をどんな一年にしたいと考えているのか一目で分かる大変便利なツールだからです。
また、8つの項目に分かれている事で、バランスのとれた、充実した一年への行動計画をしっかりと立てることが出来ます。
従業員とのコミュニケーションも図れる、大変有用なツールとなっていますので、皆さまも、是非活用してみてはいかがでしょうか。
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新春のご挨拶(2)
時間を味方につける方法~外科手術VS漢方療法
高齢の社長が高額の株式を一切後継者へ渡していない状態であれば、緊急の外科手術を受けなければならない状態となります。会計事務所は、基本的に毎月、お客様に出向き、経営状態を確認しています。財産権の要である株式の保有割合を確認し、後継者がいれば、事業承継対策を早めに打つことができます。その際、暦年贈与がもっとも賢明な対策となります。時間を味方につける贈与を活用していきたいものです。このような漢方療法は時間が必要です。
事業承継対策の適齢期は60~65歳です。毎年、株価の計算をして、例えば、10%の税率を活用する310万円の贈与(贈与税は、110万円の基礎控除で20万円の贈与税となります)はいかがでしょうか。
参考に、後継者の適齢期は35~45歳です。
おわりに
メインバンク×首都圏の会計事務所の提案書をよく吟味すると、決して悪い内容ではなく、むしろタイムリーな良い提案です。ただ、ヘリコプター代は高額であり、時間不足には代償を伴うことが明白です。「タイム イズ マネー」とは良くいったものです。いやむしろ、「タイミング イズ マネー」でしょうか。
せっかく高い時価を築き上げた会社をそんなにコストをかけず事業承継をさせるには、早めの事業承継対策が必要なのです。
なお、お客様は、金融機関の提案と比較し、後出しではあるものの、我々会計事務所の提案を受けて頂きました。
皆様の事業の益々のご発展をご祈念申し上げ、ご挨拶と代えさせて頂きます。
「ニューイヤーコンサート2015」<277>
「ニューイヤーコンサート2015」<277>
(1/15)

ニューイヤーコンサート2015」<277>(1/15)
10日にオーケストラ・アンサンブル金沢の第359回定期公演「ニューイヤーコンサート」に出かけた。
あらかじめ12月中旬にネットで購入しておいたもので、席まで選ぶことができ予約しやすくなった。
指揮は井上道義、歌は島田歌穂、コンサートマスターはサイモン・ブレンディス。
演目はつぎのとおり。♪印は島田歌穂の歌唱曲。
ワルトトイフェル…没後100年、「ワルツ・女学生」
ロジャース…映画公開50周年記念「サウンド・オブ・ミュージック・メドレー」♪
アンダーソン…「ワルツィング・キャット」
ロイド・ウェバー…「アルゼンチンよ泣かないで<エビータより>」♪、「メモリー<キャッツより>」♪
J.シュトラウスⅡ…「ワルツ、酒・女・歌」
カールマン…初演100年、喜歌劇「チャールダーシュの女王」序曲
レノン&マッカートニー…「イン・マイ・ライフ」♪
ラヴランド…「ユー・レイズ・ミー・アップ」♪
J.シュトラウスⅡ…ワルツ「楽しめ人生を」、ポルカ「特急」
ロイド・ウェバー…「オール・アイ・アスク・オブ・ユー<オペラ座の怪人より>」♪
シェーンベルク…「オン・マイ・オウン<レ・ミゼラブルより>」
オーケストラの迫力と島田歌穂の歌唱力に酔いしれた至福のひととき。
リーフレットに音楽評論家・響敏也の論説が載っていたので、ご紹介します。
なにがあっても、意地を張ってでも、人は「上昇志向」のほうがいい。
虚栄心と言われようと、上を目指すのはいいことだ。
雨の水溜まりで転んでも、うつむかないで、空を観て起き上がりたい。
たとえ分厚い雨雲の空でも。
1センチでも上へ。
新春にふさわしく、上昇の話で始めよう。
人が前進するとき、音楽は何拍子か?
これはすぐに答えが浮かぶ。
2拍子だ。
右、左、右、左と人は2足歩行だから2拍子、前へ行く。
前進。だから行進曲も2拍子で出来ている。
それでは3拍子になったら人はどこへ行くのか?
1,2までは行進だ。
しかし、そこに3が来ると人類は戸惑う。
行き場を探した3の力は次の瞬間、上に向かう。
思い出してみよう。
重い物を持ち上げる時の掛け声は「1,2」ではない。
これでは軽い物しか上がらない。
重い物の時は「1,2の、3!」だ。
3っ持ち上げる、言い換えて「せえー、のぉー、ほいっ!」でも3拍子だ。
たがら「上昇」「飛翔」「飛行」を表すとき、音楽は3拍子を取ることが多い。
成る程。リズムは奥が深いですね。
指揮者の井上道義はアンサンブル金沢の音楽監督で69歳。
島田歌穂は1974年に子役デビュー。
87年、「レ・ミゼラブル」で脚光を浴び、出演回数は1000回を超えている。
座席は1階の最後尾だったが、コンサートホールには3階に「スターライト席」があり、高い上にステージが見えない席とのことで高いため気持ちが悪くなる人も居るとのこと。
終演後に配られた「どら焼き」をいただき帰る。
写真…雲南さくら草(1/4相田宣昭邸…第3回「碁苦楽道場」に参加し、帰りに中国原産地の「雲南さくら草」の鉢をいただく)
2015年1月5日
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2015年 金剣宮参拝
「年 男」<276>
「年 男」<276>
(1/5)

皆様、明けましておめでとうございます。
今年の干支は未年(ひつじ年)。
私は6回目の「年男」を迎えます。
総務省は「ひつじ年」生まれの人口について、元日1月1日現在の推計をまとめました。
それによりますと、「ひつじ年」生まれの人は男性488万人、女性は519万人の合わせて1007万人で、日本の人口1億2702万人に占める割合は7.9%となっています。
「ひつじ年」生まれで最も多いのは48歳となる昭和42年生まれで188万人、次いで72歳となる昭和18年生まれが164万人となっています。
また、昭和54年生まれが160万人、昭和30年生まれが158万人、平成3年生まれが124万人、平成15年生まれが111万人、昭和6年生まれが90万人、96歳となる大正8年生まれが12万人となっています。
一方、十二支の中で最も人口が多いのは「うし年」生まれで1122万人、逆に最も少ないのは「とり年」生まれの961万人で、「ひつじ年」生まれは9番目となっています。
「ひつじ年」の著名人・有名人としては…
福沢諭吉、坂本龍馬、勝海舟といった幕末に活躍された方、そしてビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、高倉健さん、スポーツ界ではプロレスのアントニオ猪木さん、デストロイヤーさん、相撲横綱の千代の富士さんがいます。
他に24歳になる浅田真央、石川遼、高橋みなみ、前田敦子、高畑充希。
(私が24歳の時は税理士試験勉強開始)
36歳になる仲間由紀恵、堂本光一、堂本剛、ともさかりえ、国仲涼子、押切もえ、小林麻耶。
(私が36歳の時は税理士事務所を白山市から金沢市に移して2年目)
48歳になる織田裕二、中山秀征、原田知世、坂本冬美、堀ちえみ。
(私が48歳の時は北陸税理士会金沢支部副支部長2年目)
60歳の還暦になる明石家さんま、郷ひろみ、松山千春、竹内まりや。
(私が60歳の時は北陸税理士会会長2年目)
私と同い年の方。
北大路欣也、樹木希林、大前研一、加藤茶、橋幸夫、関口宏、田村正和、加賀まりこ、加藤登紀子、飯塚真玄(TKC会長)
米長邦雄(元日本将棋連盟会長・永世棋聖、享年69…昭和60年に木村経営ブレーンの10周年記念式典で講演していただいた。)
尾崎紀世彦(享年69)、ジョージ=ハリスン(ビートルズ、享年58)がいます。
「ひつじ年」の運勢と性格を運勢では…
人情味のある温かみを感じさせる人。
芯が強く負けず嫌いの頑張り屋。
羊がいつも群れで行動するように、単独で行う労働より、組織の中に居る方が安心して個性を発揮できます。
(そうありたい。)
所属団体から年男として「今年の抱負」を求められたので次のように返答しました。
北陸税理士会…「人生、下り坂サイコーをモットーに。」
TKC北陸会…「健康第一で自分を楽しみます。」
当社の「曼陀羅」シート…「遊魚動緑、着眼大局・着手小局」
2015年の運勢は…。
2015年から2019年まで穏やかに運気が上昇していきますので、充実した運気の波に乗せていくには、2015年と2018年の2年は忍耐が最も重要です。
(そのように心がけます。)
皆様、本年もよろしくお願いいたします。
写真…門松「利家とまつ」(1/2ホテル日航金沢
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2015年 新春のご挨拶(1)
はじめに~新幹線が春をつれてやってくる
新年明けましておめでとうございます。
北陸新幹線の開業が春の到来と同じ時期であり、例年よりも「春よ、早く来い」と強く思っております。
先日、お客様から、メインバンクである地銀が事業承継の提案をしてきたと電話で教えて頂きました。
創業以来顧問をしている会計事務所にとっては痛恨の極みです。
急いで、アポをとりお客様の元へ駆け付けると、眼前に首都圏の会計事務所とタッグを組んだ事業承継の提案書がありました。
綺麗なパワーポイントの資料を見て、事業承継について考えてみました。
事業承継を山登りに例えると
山登りに例えると、事業承継とは、下山する先達者と登山する未熟な後継者の調和と言えます。
二人とも頂点を目指し登山する場合、承継は滞るような気がします。
社長は、一旦、上った山を必ず下りなければなりません。
ずっと山頂にいる時、自力で山を下りられなくなる場合もあります。
その時は、誰かの助けを呼ばなければなりません。
例えば、ヘリコプターを山頂に呼ぶなど、かなりドラスティックでかつ限定的な手段しか残されていません。
メインバンク×首都圏の会計事務所の提案書は、まさにこのヘリコプターのような緊急手段のやり方でした。
具体的には、ホールディングカンパニーを用いた手法です。
できれば、自力で下山したいですよね。
(続)
2014年 年末ご挨拶
「税理士個人開業の40年を回顧」<275>
「税理士個人開業の40年を回顧」<275>
(12/25)

今年もあと一週間と押しつまってまいりました。
21日にTKC石川県支部主催の月例会で「TKC、税理士会と歩んだ40年」と題して講演させていただきました。
また、その後のファミリー忘年会にも参加しました。
私の方からお願いして高岡市の高田照久先生もゲストとして出席していただく。
一年を締めくくり、講演の内容に合わせて税理士個人開業の40年を回顧してみます。
〇、本年9月30日をもって税理士事務所から税理士法人に移行。
昭和49年2月20日に北陸税理士会に登録し、昭和50年6月1日に税理士事務所を個人開業してから40年の歴史にピリオドを打った。
〇、昭和51年12月にTKC全国会へ入会。
その後、TKC北陸会の企業防衛制度委員長、研修所長、総務規律委員長を経験させていただく。
一番の思い出は、石川県の企業防衛制度3兆円目標を全国で初めて達成し、飯塚毅初代会長から個人実印の感謝状をいただいたことである。
それを契機に中央では近畿会企業防衛制度委員長、中央研修所の研修試験委員長を務めた。
また、カセット「差別化時代の会計事務所戦略」(昭和58年)、冊子「参謀型MASのすすめ」(昭和61年)を発行していただき、全国各地へ二巡ほど講師として出向いた。
その際に、多くの友人と出会ったのは大切な財産である。
飯塚毅初代会長から教えていただいた「動中の禪は、静中の禪に優る」は心にしみている。
〇、北陸税理士会では、昭和54年6月に36歳で金沢支部制度部委員に就任したのが初めて。
その後、金沢支部の常任幹事、副支部長、支部長を経て石川県支部連絡協議会会長、石川県税理士協同組合理事長、北陸税理士政治連盟石川県支部長、北陸税理士会専務理事を務める。
そして平成13年6月に24年ぶりとなる選挙により第18代北陸税理士会会長に選任された。
会長として平成13年の税理士法改正にともなう制度改革など3期6年で218項目の改革改善を行った。
平成18年4月には北陸税理士会設立50周年記念事業として韓国中国を視察し、北陸税理士会の電子申告率全国一の基礎を築いた。
日本税理士会連合会では副会長として情報システム委員会(電子申告認証局の設置)、綱紀監察部、日本税理士国民年金基金理事長などを担当した。
〇、日本医業経営コンサルタント協会での経歴はブログ「遊魚動緑」NO.269(10/25)を参照ください。
本年6月19日の定期総会をもって70歳定年で会長を退任した。
一番の思い出は何と言っても役員の選挙制度への変更と平成24年4月1日付けの公益社団法人への移行である。
それまでは、会長は厚生労働省からの天下りだったが、時に民主党政権(平成21年9月~平成24年12月)で天下りが批判の的になっていた。
そして公益社団法人化を機会に会長・副会長・外部理事を除く理事・監事を選挙で選ぶ制度改革を行った。
また、公益社団法人移行は三年五か月の準備期間を経て実現した。
初代代表理事就任。
周りの協会を見る目がガラリと変わった。
厚生労働省の担当部署も経済課から指導課に変わり、九団体目となる日本看護協会から外部理事に入っていただいた。
本部事務局も東日本橋から日本病院会が所有する三番町の「ホスピタルプラザビル」に移転した。
〇、国税審議会では、平成19年12月に懲戒審査委員を拝命し、平成25年1月には麻生太郎財務大臣の辞令で税理士分科会委員を拝命した。
そして平成26年12月24日の懲戒審査会議が最後に、平成27年1月5日付けで7年間の任期満了となる。
一番の思い出は、税理士の名義貸し行為が税理士業界を蝕むとの発言を重ね、平成26年3月の税理士法改正では「非税理士への名義貸しの禁止」が法律に明記された。
平成24月6月以降今までで名義貸し違反は約50件に上る。
今後の課題は税理士法人のコンプライアンスである。
〇、金沢経済同友会は平成10年6月に入会してから16年、平成24年3月より監事を務めている。
平成23年に台湾の八田與一記念公園竣工式典、平成24には日米交流桜植樹百周年=ワシントン全米さくらまつりに参加しました。
〇、その他、金沢大学の講師と北陸大学の客員教授も節目を感じて本年辞任した。
また、今年は金沢市長選挙と衆議院選挙もあった。
12月に北陸税理士政治連盟の「税理士による岡田直樹後援会」の会長を覚本雅夫先生から私に引き継ぐ総会決議がされた。
岡田直樹先生の改選(参議院6年任期)は平成28年7月25日である。
本年は変化の多い年でしたが、元気で越年できることを幸せに思う。
皆様、良いお年をお迎えください。
写真…税理士法人木村経営ブレーンの二階「木啓庵」庭園(12/25朝写す)
辞令交付
「妻を迎えて赤門・母の隠居で成巽閣、十三代斉泰」<274>
「妻を迎えて赤門・母の隠居で成巽閣、十三代斉泰」<274>
(12/15)

12月5日、飯田橋のメトロポリタン・エドモンドホテルで公益社団法人日本医業経営コンサルタント協会の主催で私の前会長慰労会が催され、現役員と退任役員、事務局の方々が出席していただき盛り上げていただいた。
12月12日に金沢経済同友会のふるさと塾で「妻を迎えて赤門・母の隠居で成巽閣、十三代斉泰」と題して、東四柳先生の講義を石川護国神社でいただき、その後、「成巽閣(せいそんかく)」を見学した。
「妻を迎えて赤門」とは、十三代前田斉泰(1811~1884)が11代徳川家斉征夷大将軍(1787~1837)の21女「溶姫」(1813~1868)を正室に迎え造ったのが「赤門」(東京大学)である。
赤門には前田家のご紋「梅剣鉢」と徳川家のご紋「三つ葉葵」が残されているようだ。
また、赤門は前田藩主の上屋敷であった10万坪の屋敷に造られた。
他に中屋敷(駒込)6万坪、下屋敷(板橋)21万坪があった。
「母の隠居で成巽閣」とは、斉泰の父、十二代藩主斉廣(なりなが1782~1824)の正室「真龍院」(鷹司隆子1787~1870)のために斉泰が造営(1863年)した奥方御殿。
十三代藩主斉泰の実母は真龍院ではなく父・斉廣の側室の子である。
真龍院は、前田藩主に嫁いだ初めての公家(京都鷹司家)であり、斉泰や慶寧は真龍院の影響を強く受けたと思われる。
鷹司家の御殿が「辰巳殿」と呼ばれていた事や「辰巳用水」が庭園を流れ、言葉に縁が深く、加えて金沢城より「巽(たつみ)」の方角にある事から「巽御殿(たつみごてん)」と名付けられた。
大政奉還、王政復古を経た明治7年に斉泰は今日の「成巽閣」という名に改めた。
激動の幕末、前田家において京都、朝廷との関係に真龍院が果たした役割は計り知れないものがあった。
「十三代藩主前田斉泰(なりやす1811~1884)」
前田斉廣の側室から嫡男として生まれる。
45年間にわたり藩主を務める。
5代藩主前田綱紀が78年間藩主をつとめたので二人で加賀藩(1583利家入城~1871廃藩置県、14代慶寧)288年間のうち約半分の123年間つとめたことになる。
斉泰は藩政の面で目立った実績はないが、地域密着型の人物で、能楽な和歌を愛し加賀藩の伝統を引き継ぐ重要な役割を果たした。
また、斉泰が国元に戻った際、金沢近郊でタカ狩りを楽しみ、神社仏閣の参拝によく出向き、藩校にも顔を出していた。
1853年には異国船に対する海岸防備のための視察で能登全域の海岸線を見て回った「能登巡見」がある。
斉泰の時代に起きた事件。
1852年…銭屋五兵衛が捕まる。
1854年…洋式兵学校「壮猶館」が設立。
1858年…金沢大地震。
1859年…コレラ大流行。
1864年…「禁門の変」が起こった際、慶寧が無断で京を出る。
加賀藩の尊皇派が処罰される。
講演後に「成巽閣」を見学する。
「謁見の間」には古いインド製絨毯、欄間は檜の一枚板に花鳥を透かし彫りし極彩色の岩絵具で彩られたもの。
「亀の間」には、障子腰板の亀の絵があり床の間より一枚毎に数が増えている。
「松の間」の書院障子の腰板にはオランダ渡来の硝子絵が嵌め込まれている。
また、柱の無い長さ20メートルの縁側は2メートル間隔に組み入れた松材が梃子の原理で屋根を支えている。
階上の「群青の間」の群青(ウルトラマリンブルー)は鮮やかだ。
写真…フィンランド・クリスマスツリー(12/13ホテル日航金沢)
