先日、北國総研ビジネス情報懇話会で、元日経トレンディ編集長北村森氏の話を聴く。
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(講師席にて、講師と一緒に昼食を頂く。石川県は十分ブランドがあり、ユルキャラなど必要ないなど談笑する。)
北村氏の話の中で、高松丸亀町商店街の再生成功のエピソードが抜群に面白かった。
再生する時に土地を全員から召し上げた。いわゆるテナントミックスを実施した。土地は定期借地を活用して適材適所の店を設計し、自分の土地の上にどんな店が建つのか、最初は分からない。
丸亀町商店街のケースで学べることはシステムではなく、どうやって進めていったのか。「1度決めたことを後から文句を言わない。その1点だ」と言う。文句を言う人は、常務会から外れてもらった。ただ、その人は地権者であり商業者でもあるので、土地を差し出さないと言い出しかねない。それを説得しに行くのが、長老。
長老は、出しゃばらず、次世代の人たちをバックアップする。壮年はとにかくよく働く。青年は年長者を敬う。世代間の役割がしっかりしていて、老・壮・青のバランスが良い。
商店街の奇跡の再生には、こういうプロセスが大事であることを学ぶ。
(2014年12月12日付け 北國新聞朝刊記事)
金沢会計人 のすべての投稿
「質問掲示板に応える」完成
今年のイベントの一つ、MMPGの税制会計研究会の企画が完了しました。
MMPGとは、医療福祉介護特化会計事務所の集団です。
そして、M-LASという会員で共有する動画も完成しました。
「医療機器の特別償却、税額控除」の説明で痛恨のミスを喫す。
過酸化水素低温プラズマ滅菌装置(1580万円)が特別償却の対象となるか否かの説明の際、減菌を「げんきん」と説明したのだった。「めっきん」と言うところをなんとも情けない。再度、説明したときは、「めっきん」と言っていたらしいが。。。
答えは、いずれの制度の特別償却も使えない。
減価償却資産として、耐用年数4年で減価償却します。
講師を務めた後、読み間違いを仲間から聞かされたのだった。。。
次回からは、更なる注意をしようと誓ったのでした。
2015年は、原点回帰して、税務調査事例を研究する予定です。
「質問掲示板に応える」
A.開業期
・基金拠出型医療法人の設立時の建物拠出に関する処理方法
・小規模多機能とサービス付き高齢者向け住宅の併設と耐用年数
・基金拠出型法人の法人税申告
B.成長・安定期
・医療機器の特別償却、税額控除
・奨学金、修学金の債務免除の取り扱い
・中小企業等投資促進税制
・医療法人の太陽光発電に係る税制
・社会福祉法人の収益事業会計と雇用促進税制
C.承継期
・医療法人の解散と退職金計上時期
・出資持分放棄に伴う個人出資者の課税
・歯科医師の死亡共済金等の相続税法上の取り扱いについて
D.消費税問題
・歯科自費収入の消費税経過措置
・介護付き有料老人ホームの転貸に係る消費税
・地域密着型サービスの利用料の消費税
・グループホームの耐用年数と消費税の取り扱い
・医療法人で行う有料老人ホームの消費税
「第四回中日韓囲碁親善交流訪問団」<273>
「第四回中日韓囲碁親善交流訪問団」<273>
(12/5)

「金沢国際囲碁交流協会」は平成6年8月に設立以来、本年で設立20周年を迎えた。
私は平成24年5月に理事を拝命している。
これまで、日中で12回、日韓で4回、日台で2回、日越(ベトナム)で2回、日米(ハワイ)、オーストリア、チェコ、シンガポール、ベルギーで各1回、
協会設立前の平成4年に初めて蘇州市を訪れてからの交流は30回を数えている。
そして日中韓3姉妹都市囲碁交流は今回で第4回を数える。
現在、金沢市の姉妹都市はバッファロー(アメリカ)、イルクーツク(ロシア)、全州(ジョンジュ韓国)、ゲント(ドイツ)、蘇州(そしゅう中国)、ポルト・アレグレ(ブラジル)、ナンシー(フランス)の7都市です。
当社、木村経営のすぐ近く駅西新町3丁目に「金沢市姉妹都市公園」があります。
7都市を紹介した造作コーナーがあり見ごたえある公園です。
一度は散策して見てください。
さて、私は「第四回中日韓囲碁事業」に初めて参加させていただきました。
石心主宰の佃優子師範の勧めと神野正昭協会理事長のお世話もあり、随行者として申し込んでありました。
ところが、直前の案内書を見てびっくり、なんと10名の選手の一人にエントリーされているではないか。
びっくりしたが後の祭り、腹をくくって参加させていただく。
参加メンバー(敬称略)
1、中島史雄5段(団長)
2、神野正昭7段(副団長)
3、越仲 稔7段
4、吉村唯之6段
5、高見太郎5段
6、藤田寛治5段
7、石崎孝彦5段
8、木村光雄4段
9、坂野誠昭3段
10、川上信幸(秘書長)3段
21日…13:30小松空港から上海浦東空港へ。
到着後にバスで蘇州市へ移動。
夜に「パンパシフィックホテル蘇州」で「蘇州市人民対外友好協会」、「蘇州体育局」、「蘇州市碁類協会」よりの歓迎会。
歓迎会を中座して大連工業大学の王薇教授と会食する。
前もって訪中のメールをしておいたら、面談することになったもの。
2007年4月に大連工業大学・余学長の通訳で金沢に来られた折りにお会いして以来7年半ぶりである。
私が大連工業大学の客員教授に就任した平成16年1月から10年経っている。
中国での定年は女性は55歳、男性は60歳だそうで、王さんは娘さんの居る深川でビジネスをはじめたいとのことだった。私には力不足なので、心あたりの人を紹介することとした。
22日午前…大阪府池田市と対戦。
池田市は蘇州市と姉妹都市の関係で参加。
金沢市と池田市は初顔合わせ。
私の相手は有光弘和5段。
駄目づまりで形が崩れ10目半負け。
試合ルールは、手合いの段差は考慮せずハンディなしの互戦、持ち時間は1時間で切れ負けとなる。
また、判定は中国でいう「裁判長」が「中国方式」で数える。
池田市の山本英利3段は税理士で、親しくお話しさせていただいた。
先生は世界一周クルーズをして、豊かな余生を楽しんでおられる。
22日午後…蘇州にある重元寺(湖上にある観音閣)を観光し張家港へ移動。
張家港での宴席では、隣席の徐益明5段(囲碁学校の先生)と筆談をしたが、けっこう通じた。
23日午前…韓国全州市と対戦。相手は高善淑4段(女性)。前半は有利にすすんだ積もりが中盤に猛攻を受けて責め合い崩れとなり、中押し負け。
23日午後…張家港から昆山の大唐自然園へ移動し対戦。
昆山市のお相手は、陳工斌3段。
私の大模様に対してじわりと迫られて最後は見損じで中押し負け。
対戦後に分かったのは、陳さんは昆山市碁棋協会主席(会長)だった。
金沢市チームは優勝した昆山市には負けたが、池田市と全州に勝ち準優勝だった。
中国での5段は、日本の7段~8段だという。
いづれにしても、今回の中国での囲碁交流は貴重な体験となった。
この体験を励みに囲碁を楽しみながらも少しは棋力アップしたいと思う。
交流した方に「加賀友禅」のハンカチを差し上げたら喜ばれた。
滞在中に同部屋だった元北国アマ名人の越仲稔さんとは気が合い、楽しく過ごさせていただいたことに感謝します。
また、23日の深夜、二人でメンバーが無くしたカバンを昆山自然園の中を探しまくったのは思い出になることでしょう。
第五回日韓中姉妹都市囲碁交流会は二年後2016年に金沢市で開催される。
写真…北国ジャンボ囲碁団体戦(金沢GOGO倶楽部から参加)の会場・金沢勤労者プラザの紅葉(11/30)
第33回定時株主総会
「金沢を歩く-文化のまちづくりを語ろう-」<272>
「金沢を歩く-文化のまちづくりを語ろう-」<272>
(11/25)

10月29日に前金沢市長、山出保氏の講話を聞いた。
表題の「金沢を歩く」は山出氏が本年に出版した本のタイトルである。
昨年は「金沢の気骨」という本を出版している。
以下、山出氏の講話を要約します。
1、山出氏の履歴
1954(昭29)金沢市役所
1990(平2)金沢市長
2003(平15)全国市長会会長
2010(平22)金沢市長退任
2、三人の市長に仕える
徳田与吉郎…1963(昭38)~
岡良一…1972(昭47)~
江川昇…1978(昭53)~
3、金沢世界都市構想…1995(昭7)
まちづくりの基本
土地利用…保存と開発の調和
文化創造…伝統に創造の営み
「伝統とは創意の連なりである」(大岡信)
(1)、伝統文化…芸能、茶道、工芸、食(菓子,料理)
(2)、新文化…音楽、演劇、現代美術
4、任期中にできたこと
(1)、重伝建地区の選定…ひがし、主計町、卯辰山麓、寺町台~職人大学校
(2)、21世紀美術館、金沢駅東口広場、鈴木大拙館
(3)、ユネスコのクラフト創造都市登録
クラフトの国指定6種…加賀友禅、九谷焼、金沢仏壇、金沢箔、金沢漆器、金沢繍
クラフトの金沢市指定…大樋焼ほか17種
(4)、横河電機、コマツの立地
5、任期中にできなかったこと
(1)、隣接市町との合併
(2)、城下町金沢の文化遺産群と文化的景観の世界遺産登録
金沢は前田利家が1583年4月28日に入城して以来、加賀藩政を14代280年間にわたり治めた。
また、明治以降150年は第2次世界大戦の被害もなく、あわせて430年間は争いがなく文化が根ざした。
6、引き続きのテーマ
(1)、後継者育成を個別具体的に…芸能、工芸、食
(2)、景観施策…文学的景観の保全
「11/20金沢経済同友会での水野一郎氏の話」
地理・地形…二本の川(犀川、浅野川)
歴史的重層性…バウムクーヘン
都市構造…城下町
建築混在併存…モザイク状
(3)、公共交通のあり方…マイカーから公共交通への転換…市民の合意形成
(4)、地方分権…自立の気概を
7、北陸新幹線金沢開業を契機に
(1)、視座を世界に…個性と魅力を磨く…ハイクオリティ、「本もの」へのこだわり
(2)、外部資本による環境破壊に
(3)、人口減少時代のまちっくり…まちなかを凝縮、コミュニティの再生も
8、「金沢らしさ」とは何か
親しみ
癒し
こだわり
思いやり
講話後に「企業市民の集い」のレセプションで、乾杯後に山出前市長と目が合い会釈をしたら、山出氏から真っ先にいつもの笑顔で私の方まで来られ長い握手をしていただいた。
私が北陸税理士会の役職をしていたころにお会いしていたが、覚えていただいていて光栄であった。
写真…カンツバキ(11/20鞍月パーク)
MMPG税制会計研究会企画 「質問掲示板に答える」
来週、医療福祉介護特化会計事務所の集団であるMMPGの税制会計研究会の企画があります。
「質問掲示板に応える」
われわれ研究員は、全国の会員から、日々の質問に答えています。
疑義のある質問を選りすぐり、開業期、安定期、承継期に分けて、研修会を行います。
141127_【案内】税制研修会.pdf
研修会講師は6年目ですが、いつも緊張します。現在、菊地会長や林室長や和栗研究員など同志のアドバイスを受け、レジェメの最終チェック中です。
情熱型タイプは、冷静に話す方が良いとのアドバイスを受け、当日は落ち着いてゆっくり話そうと思います。
保険提案を考える
先日、保険提案を真っ向から考える機会を頂いた。
(第43回 企業防衛制度推進委員会 研修小委員会)
理想の標準保障額とは何だろうか。
生命保険の商品が死亡リスクにだけ対応する時代は、経営者への説明が楽であった。
商品の種類が少ないと覚えることが楽だからだ。
今や、生存リスクに対応する商品がある。
こうして、適切なアレンジ組成に我々の頭脳(ブレーン)が必要となったのである。
死亡リスクと生存リスクもすべて充足するような夢の標準保障額は、天国の保障と引き換えに地獄のような保険料を負担しなければならない。
保険種類が多様化した中、死亡も生存もすべてのリスクに対応すると、多額の保険料がかかり現実的ではない。
可能原資という視点で理想と現実の間を我々ブレーンが提案していくのである。
会社が毎月、いくら保険料を払えるのか。この問いから必ず出発しなければならない。
有限な経営資源であるお金を有効活用するため、保証の黄金比を考える必要がある。死亡と生存の最適なポートフォリオを業種、業態、経営資源の状態を勘案し、アレンジしていく。現実的な保険料でシュミレーションしていく。
「大名行列ルートは新幹線ルート」<271>
「大名行列ルートは新幹線ルート」<271>
(11/15)

金沢経済同友会の「ふるさと塾」は本年度、「加賀藩が残したもの」をテーマに三回の開催が予定され、第一回は表題の演題で金沢学院大教授の東四柳史明氏からの講義を10月17日に聴講した。
北陸新幹線の開通が、戦後70年、東海道新幹線開通50年後にあたる2015年、いよいよ4か月後に迫っている。
金沢~東京間が2時間28分で結ばれるが、150年前の「参勤交代」の時代は加賀~江戸を12泊13日かけていた。
慶長7年(1602)前田利長が母・芳春院(まつ)を人質としていた見舞いと家康の孫である珠姫が利常に輿入れしたお礼のために参勤し、その翌年から大名の江戸参勤が広く行われるようになり、1635年、「武家諸法度」の制度化につながった。
藩主、前田光高は寛永20年(1643年)長男の犬千代(のちの綱紀)が誕生するが、この報せを聞いた直後の参勤で、120里をわずか6泊7日で歩いたスピード記録を持つ。
四月に江戸に向かい、翌年六月に帰国するのが年中行事だった。
距離にして480キロ(120里)を北國下街道~中山道を181回、北國上街道~美濃路・東海道を5回辿っての大名行列である。
そのルートはおおむね新幹線ルートに沿っている。
「参勤交代」は加賀藩3代藩主・前田利常の時代の寛永12年(1635年)に徳川幕府が定めた「武家諸法度」により始まり、奥方を江戸に置かなくても良くなった文久2年(1862年)までの230年程続いた。
「参勤交代」は、江戸幕府が大名統制のため、諸大名を一定期間、江戸に住まわせた制度。
原則として大名を一年交替で江戸と国もとに住まわせ、その妻子は江戸に常住させた。
これによって大名は人質のような形となり、国もとと江戸を往来する費用の負担が大きく経済力も弱められた。
参勤交代が行われた期間は、寛永16年(1639年)に4代藩主前田光高(6年間藩主)、天保2年(1645年)に5代藩主前田綱紀(78年間藩主)、続いて吉徳、宗辰、重熈、重靖、重教、治脩、斉広、13代・斉泰(1866没)の藩主が参勤交代を勤めたことになり、通算190回(参勤が93回、交代が97回)にもなる。
参勤交代には2000人~4000人の人数とお金5~7億円を要し藩の財政を圧迫した。
私が生まれた新潟県の南端で富山県との境にある「市振(いちぶり)」は親不知子不知(おやしらずこしらず)の難所の次にあり徳川幕府の関所が置かれていた場所である。
また、新潟県の宿場に「二本木」があるが、私が少年期に過ごした場所でもあり、昔、大名行列が通ったと思うと感慨ひとしおである。
写真…鞍月パーク(11/6)
3社合同 第三回提案力コンテスト
「田尻悠人四段、荒木眞子三段より指導碁」<270>
「田尻悠人四段、荒木眞子三段より指導碁」<270>
(11/5)

田尻悠人棋士は石川県金沢市出身で23歳。
15歳で石川県出身者として36年ぶりに棋士採用試験に合格し入段を果たす。
8年前の入段祝賀パーティーで私は挨拶したことを覚えている。
今は日本棋院東京本院所属の四段として活躍中で石川県出身の若手棋士として期待されている。
石川県出身の棋士には、白江治彦八段…小松市(退役,76歳)、本田邦久九段…金沢市(69)、橋本雄二郎九段…金沢市(59)、高林拓二六段…金沢市(72)、大窪一玄九段…小松市(退役,85)、山崎吉廣九段(66)、伊藤加代子二段(77)がいる。
私が指導碁を受けたプロ棋士は。
滝口政季九段、51歳(指導年月、H20.6~)
佃亜紀子五段、42歳(H20.12~)…佃優子師範の妹。
本田邦久九段、69歳(H22.4)
羽根直樹九段、38歳(H22.10)
井山裕太四冠(本因坊・天元・碁聖・十段)25歳、(指導年月H24.9)…現在、七大タイトルのうち棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖の六冠を保持している。十段は高尾紳路九段(奥様は金沢市出身)、38歳。
謝依旻女流名人・女流棋聖、台湾生まれ25歳(H26.5)
の八棋士になる。
8月11日に「白山クラブ」の席主師範である高林共平先生のお図らいで田尻悠人四段との指導碁を碁会所「白山クラブ」でさせていただく。
その五子局を北國アマ名人(名人位通算28回)の神野正昭さんの解説で10月6日から北國新聞夕刊で5回にわたり連載されましたので掲載させていただきます。
いつもながら非力を思い知らされた一局でありました。
荒木眞子三段(昭和61年入段、49歳)は奈良県出身の関西棋院所属です。
10月11日に関西棋院の普及事業で来られた機会に佃優子「石心」席主師範のお図らいでご指導いただく。
その五子局の棋譜もアップします。
写真…コリウス(10/21鞍月パーク)
