2010年8月25日


短信…「遊魚動緑」
木村光雄

「私が子どもだったころ」<118>(8/25)


NHK・BSで「私が子どもだったころ」という番組を見て、私もふと子供のころを思い出し、懐かしくてジーンとしてしまった。

高橋ジョージ、吉本ばなな、桂三枝が子供のころを再現して語る。

皆、子供の頃の感性を今に繋げて大切にしているんだなぁと感じた。

桂三枝は昭和18年7月生まれだから私と半年違いの同い年。父親を戦争で亡くし、母子の子供時代。三枝いわく「あの不幸な時がなければ今の幸せはない」 と。

時代背景がダブって自分のことのように見入った。

カンカン娘、越後獅子、新諸国物語・紅孔雀、憧れのハワイ航路、お父さんはお人好し、路傍の石…などを耳にしているうち、自然と子供時代がよみがえった。

私の子供時代はと言うと…

生まれた処は新潟県の南部で富山県に近い市振駅の鉄道官舎だった。
6人兄弟(私の上の2人は小さいころに亡くなっている)の末っ子で一番上の兄とは14歳離れている。

市振は断崖絶壁の難所で知られる親不知の手前に位置する宿場。
松尾芭蕉が「一つ屋に遊女も寝たり萩の月」を詠んだ処である。

小学校は1年から親父が定年になる5年まで新潟県南部の二本木という駅の鉄道官舎から学校に通った。

私の子供の頃の思い出はこの5年間に詰まっている。
二本木村には日本曹達二本木工場があり、スイッチバックのある駅からタンク貨物車が頻繁に往来していた。遊び場は鉄道官舎を中心に飛び回っていた。

小学校の運動会には村の村長・駅長が招かれ挨拶するので、親父の挨拶の時は落ち着かなかったことを覚えている。

親父のマントに隠れて映画をたびたび見に行った。
「暁の脱走」や「岩壁の母」を覚えている。調べて見ると「暁の脱走」は1950年だから私が7歳のときだ。池部良、山口淑子、若山セツ子の俳優まで覚えている。
終戦が1945年だから、5年後に反戦映画が上映されたことになる。

冬は豪雪地帯なのでスキーで学校に通ったり、ジャンプ台から滑ったり、雪合戦をしたりしていた。

学校で飼っていたウサギに牛乳を与えて死なせてしまったり、ある日、「ポリ」と名付けた飼い犬が、軒下で死んでいて何日も悲しくてふさぎこんでいた。

山田舎なので山で栗・あけび・葡萄・筍・茸・山菜が沢山採れた。また、秋には田んぼでイナゴを取って佃煮にし、柿も良く食べたものだ。

川では魚や貝を採ったり七夕飾りを流したりした。

カバヤのキャラメルを買って景品を当てたり、アイスキャンディーの棒でピストルを作り輪ゴムを飛ばしていた。

小学校は丘の上にあり春には桜が爛漫で、校庭には小川未明の詩が石碑に刻まれていた。

勉強は熱心ではなかったけど、子供のころの思い出は尽きなく心が安らぎ素直になれるものだ。

 

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