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遊魚動緑

  • 「鈴木大拙の思想」<429>

    2019.04.05

    2月に鈴木大拙館で購入した「禅と科学」と「天界と地獄」を拾い読みする。

     

    私の浅学非才な感想よりも、お二人の解説を引用して紹介に代えたい。

     

    「禅と科学」(鈴木大拙の講演カセット)

    古田紹欽・解説

     

    鈴木大拙は1960年(60年前)に満90歳に達した。

    この講演は、その年に鎌倉の円覚寺でなされた。

     

     

     

    大拙は晩年1949年からの十年、アメリカの諸大学にあって仏教哲学、殊に禅思想を講じ、その間に国際会議のためにヨーロッパにも赴いて講演した。

     

    しかも、大拙くらい頑固に東洋思想を体した人もまた少ない。

     

    東洋思想の対比を踏まえて、しばしば自由とは何かに言及し、東洋的自由にこそ自由の自由たるものがあると言っている。

     

    禅と科学のもつ問題を、結論としてどう考えるかであるが、そこには真の自由がなくてはならぬと。

     

    「天界と地獄」(エマヌエル・スウェーデンボルグ著、鈴木大拙訳)

    安藤礼二・解説

     

    金沢に生まれ、禅を世界に広めた鈴木大拙(1870~1966)と北欧スエーデンのストックホルムに生まれ、内的な霊界を遍歴したエマヌエル・スウェーデンボルグ(1680~1772)。

     

    生まれた時代も国も、そして二人がともに生涯をかけて探求し、実践した宗教(仏教とキリスト教)も大きく隔たっている。

     

    大拙にとって、スウェーデンボルグの霊的体験と、その体験をもとに構築された意識発生論にして宇宙発生論、すなわちスウェーデンボルグの宗教哲学を自身の内に消化吸収することは、後に独創的な「霊性論」を確立していくにあたって重要な役割を果たしていったと推測される。

     

    霊界は自己の外部に存在するのではなく、自己の内部にある「心」のなかに存在する。

    その霊界こそが「神」である。

     

    大拙の仏教もスウェーデンボルグのキリスト教も、いわゆる正統な教義理解からは、ともに「異端」として位置づけられるものだった。

     

    宇宙そのものを産出する超越的な根本原理が、自らのうちに内在することを説いていたからだ。

     

    仏教がたどり着いた極限にして限界から仏教を乗り越えていくような教えと、キリスト教がたどり着いた極限にして限界からキリスト教を乗り越えていく教えが、大拙の裡で一つに結び合わされたのである。

     

    大拙は、仏教とキリスト教の伝統を脱構築することでかたちになったこの二つの極を一つに包み込む概念として「神秘主義」を見出す。

     

    言葉にすることができない「神秘」の体験を通して、人間を超越する「神」あるいは「仏」と人間に内在する「心」が一体化する、つまりは「合一」するのである。

     

    大拙にとって、神秘と科学は両立するものだった。

     

    仏教とキリスト教を二つの比較を軸とした、「神秘主義」としての宗教理解。

     

    それが大拙思想の始まりから終わりまで貫徹されているのだ。

     

    鈴木大拙館には三度訪れたが、三度目にして大拙の思想に触れた。

     

    鈴木大拙と西田幾多郎は、ともに明治3年生まれで金沢第四高等中学校で知り合い、生涯を通した親友だった。

    二人は学者という枠を超え、東西を結びつける世界文化を創造し、日本を代表する思想家となった。

     

    凡人の私には思想は難解だが、ひところ、金沢大乗寺、福井大安寺、京都妙心寺で座禅に凝ったときが懐かしい。

     

     

    写真…鞍月セントラルパーク(3/28)

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