金沢会計人 のすべての投稿

シリコンバレーのシェアリングという発想

はじめに ~ 現代版ゴールドラッシュ

 

アメリカの人口は、約3.2億人。シリコンバレーの人口は300万人ほどであるにもかかわらず、ベンチャーキャピタルの全投資額の半分弱がシリコンバレーのベンチャーへ投資されています。

全世界の投資家群が一攫千金を求めて投資する現代版ゴールドラッシュの様相を呈しています。

蛇足ながら、1849年からゴールドラッシュが熾烈を極めたことから、その人たちを49ersと呼び、現在のNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)チーム、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(San Francisco 49ers)に名残を残しております。

 

(写真は、日本M&Aセンター三宅社長との1枚)

 

 

1.テクノロジー(技術)×シェアリング(共有)

 

前回紹介したテスラ・モーターズは、完全な自動運転を目指そうとしています。この自動運転にシェアリング(共有)という概念を導入すると、世界が一変します。

現在の車の稼働率は、約5%。ほとんど動いていない状態です。私が渡米しているとき、当然に私の車は動いていません。日本M&A協会の会員が、此処シリコンバレーに400名超集っていたので、人数分の車は動いていないでしょう。(なお、不在中に、家族の者が車を動かすことはあるでしょう。)

今、完全に自動運転が可能な状態が眼前に現れて、車をシェアリングできれば、理論的には95%の稼働率が実現するという。そうなると、個人の車という発想がなくなり、車の数が激減します。たとえば、私の愛車がアイフォンのアプリで勝手に移動するようなイメージでしょう。私の出張中でも愛車が動く。

どのレベルで車を共有するか。たとえば、家族、会社、地域など多様な共有方法があるでしょう。車の使用料をどのように分担するか。こういう話になると推察されます。

 

2.プロフェッショナルは自己否定の仕事

 

TKC全国会の坂本会長は、お医者さんの例を挙げて、プロフェッショナルの本質をこのように喝破しています。お医者さんは病気がなくなる世の中を望んでいる。病気がなくなったら廃業する。それでも病気がない世の中を目指して、お医者さんは患者さんを診察すると。まさに、専門家が必要とされない世の中を作るために仕事をしている。

テスラ・モーターズも同様に、車の自動運転に加えてシェアリング(共有)の考えが浸透すると、車が売れなくなる。自社の売上や利益よりも、世界を変えるため、人為的ミスで交通事故のない世の中を目指して、自動運転を開発している。

プロとして、自己否定しながら、あるべき世の中を目指す。シリコンバレーでプロの仕事の本質を垣間見ました。

 

3.Uberの描く世界

 

シリコンバレーのタクシー業界は、Uberが席巻しています。実際、私の先輩が滞米中に乗り、便利さを体感しております。Uberとは、スマートフォンアプリを使った配車サービスです。無認可のタクシードライバー(いわゆる白タクです。)が主体となっております。

これからの日本は残業規制の時代に突入します。アフター5の副業で、有り余る時間に自分の車を使って小遣い稼ぎをするドライバー(運転手)も出てくることと推察しています。なお、Uberは日本に上陸を試みましたが、国土交通省の認可が厳しく、今のところ頓挫しているようです。ただ、近い将来、世界中の既存のタクシー会社は減るでしょう。

このように、個人保有の遊休資産の貸出を仲介するサービスは増えていきます。

 

むずびに ~ 職業会計人の未来

 

前出の坂本会長は続けます。数字がわかならい経営者がいるから、職業会計人の存在意義があると。経営者が全員数字がわかってしまったら職を失うというのは間違い。数字のわかる健全経営できる経営者を増やしていくのがプロフェッショナルだと。

管理会計を包含する会計を完全に理解した経営者が、数値を経営に活かし、業績を伸長しうるか。京都大学が、こういう実証研究を実際に行っています。

医学が学術研究と臨床実験の循環を頻繁に行い、医学を向上しているのと同様に、会計学の世界も実証研究をしていく必要があるなと感じております。

これから、今回のシリコンバレーでの発見を次期事業発展計画書に活かそうと意図しています。

 

「空路・東奔西走で月を往復」<357>

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北陸新幹線が2年前の1915年(平成27年)3月14日に、50年という長い準備年を経て開業した。

その後、私は上京には新幹線を利用している。

空路利用の金沢駅~小松~羽田~東京の時間に対して、新幹線の方が少し短く(2時間28分)かつ移動が不要で時間も正確だから利便性が良い。

 

2年前までは、上京に小松~羽田の空路を利用していた。

 

これまで海外も含め、私が利用したJALとANAの実績を調べると…。

 

JAL…搭乗回数856回(国内線843回、国際線13回)。

マイル216,568(国内線190,188マイル、国際線26,380マイル)。

 

地球8.7周。

月まで0.5往復(片道なら月まで行ってる)。

総搭乗時間は577時間。

 

ANA…これまで、135,616マイル。

 

JAL+ANA=352,184マイル。

 

国内航空の二社だけで、地球14周となり、また月まで往復0.75の距離になる。

 

海外航空会社を入れると月まで1回往復していると思う。

 

用件の多くは、国税審議会をはじめ税理士会や日本医業経営コンサルタント協会ならびにTKC、MMPG、JPBMなどの業界の役務だった。

 

海外にもずいぶん出掛けた。

 

海外旅行初は、開業から三年目の昭和53年9月…西ドイツ・スイス・仏へ第6回TKC遣欧視察団としてダーティフ計算センターなど視察。

 

昭和55年4月…日中国交回復から7年後。第1回TKC中国視察旅行。

 

昭和56年4月…第6回TKC米国視察旅行。監査法人ビックエイトの実態を視察。

 

 

昭和61年6月~平成6年5月までは9回渡航し次の各国を訪問する。

 

主に医療専門特化研究グループ「MMPG」からで、西独・イタリア2回(ローマ医師会など)・仏(2回)・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・イギリス・米国(2回)・台湾・ハワイ・モナコ・タイ・バリ・スペイン・上海へ。

 

平成11年8月…「ロシアとパリの美術館めぐり」、松井秀喜さんの父・松井昌雄さんとは旅行中良く飲んだことを思い出す。

 

平成14年3月…TKCからハワイへ。

 

平成16年10月…大連軽工業学院(現・大連工業大学)の客員教授に就任して講演。

その後、2回訪問し講演する。

 

平成18年4月…北陸税理士会創立50周年記念事業として韓国・ソウルと中国大連・上海へ視察。

 

平成18年9月…日本医業経営コンサルタント協会から北欧4か国へ。

 

平成20年9月…日医C協からカナダ視察。

平成21年9月…MMPGからイギリス・ドイツへ。

 

平成22年3月…日本M&Aからスペインへ。

 

平成23年5月…金沢経済同友会から台湾の八田技師記念公園開場式典へ。

 

平成24年4月…金沢経済同友会からワシントン桜まつりへ。

 

平成25年6月…日本医業経営コンサルタント協会からノルウェーの国際病院学会へ。

 

平成26年11月…囲碁交流で中国へ。

 

平成27年3月…日本M&Aからシンガポールとミャンマーへ。

 

平成28年3月…日本M&Aからハワイへ。

 

平成28年6月…石心から囲碁交流でカナダへ。

 

韓国には日韓友好税理士連盟を始めとして多く訪問している。

 

 

「KKBの海外慰安旅行」

 

昭和62年10月…創業10周年を記念して韓国へ。

(その後、2年毎に3回行く)

 

平成元年8月…香港・マカオ

 

平成3年7月…サイパン

 

平成5年7月…シンガポール

 

平成7年10月…創業20周年を記念してハワイへ。

 

平成12年10月…創業25周年を記念してグアム島へ。

 

平成17年10月…創業30周年を記念してベトナムへ。

 

平成19年10月…大連

 

平成27年10月…創業40周年を記念してバリ島へ。

 

 

「永年勤続海外旅行表彰」

 

平成8年から現在まで、企業防衛制度の海外旅行表彰を利用して永年勤続社員を順に表彰。

多くの社員が世界各国へ旅行している。

 

 

「STLOWS倶楽部・金沢経友会」

 

初代「STLOWS倶楽部」は、お客様による研修親睦会で、昭和53年6月~最終・平成15年4月の25年間に183回の行事を開催したが、うち海外旅行も14回行った。

 

東奔西走、貴重な体験をさせていただいた。

 

写真…木蓮(3/29、鞍月セントラルパーク)

日本M&A協会2017 サンフランシスコ&シリコンバレー国際会議 後編

はじめに ~ 快晴とシリコンバレーの成功

 

サンフランシスコは、肌寒いハワイと言われるように天候が良い。(1年平均17度前後。夏場は海温の影響で霧で覆われるようです。)

シリコンバレーの成功者は、創業時の失敗の繰り返しで落ち込む中、快晴の空で救われたという。こういうインタビューのやりとりが多い。坂本九氏の「上を向いて歩こう」の世界が眼前に現われました。

 

1.ギターが奏でるアルカトラズからの脱出

 

滞在中の会議時の天候は曇り時々雨。観光に乗り出そうとしたとき、天候がにわかに回復してきました。まずは、神のご加護に感謝する。写真は、アルカトラズ島を背景にしたフェリー内での1枚。かつて、クリントイーストウッド主演の「アルカトラズ島からの脱出」を観たことがあり、1度は行きたいと思っていました。

サンフランシスコ湾は、海温が低く、海流も激しい。本当に脱出できたのかとやや懐疑的です。脳内ミュージックは、アルカトラズの「ヒロシマモナムール」。(アルカトラズではこの歌が好きですね。)イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイのギターソロが脳内でリフレインしておりました。

 

2.車の再定義~ハードウェアからソフトウェアへ

 

国際会議企画でシリコンバレーで働く人たちのパネルディスカッションがありました。その中で、かつてテスラ・モーターズで働いた方の話が秀逸でした。

今後、車はハードウェアではなくソフトウェアとなる。テスラ・モーターズでは、販売する1年以上も前に使用しない機能を搭載。ソフトウェアをアップグレードすれば、全世界同時にその機能が使えるようになる。車は、ソフトウェアということに衝撃を受ける。

アップルやグーグルにおいても、モノ作りを指向している(いわゆるIOTの世界)。この流れは、注視しなければなりません。

 

3.生き残る2者 ~ 何も知らない若者とアンラーンできる者

 

テスラ創業者のイーロン・マスク氏は、誰がどうみてもクレイジーなオファーを繰り出すという。たとえば、新入社員に4か月で新工場を建設してほしいと要求する。経験のある幹部が聴けば、「そんなことは無理ですぜ、ボス! 2年はかかります」と即答するだろう。しかしながら、新入社員の彼はやり遂げる。なぜか。それは、何も知らない若者だからだ。

このテスラで生き残れる者は2つしかない。一つは前述した何も知らない若者。もう一つは、アンラーン(UN LERN)できる者だと。アンラーンとは、自らの成功体験を捨て去ること。前例がないことにチャレンジし続ける会社には、2者のタイプしか結果的に生き残れない。

同じパネルディスカッションでのパネラーの一人、エヴァーノートの創業者外村氏も何度も重鎮呼ばわりしないでくれと司会の方に念を押していた。イノベーションとは連続の世界ではなく、非連続の世界。従前の経験をいとも簡単に捨て去ってこその成果と実感する。

 

むすびに ~ 世界を変える信念

 

世の中の課題をPAINという。この課題(PAIN)を解決するには、どうしたら良いか。シリコンバレー風に言い換えれば、どうすれば自分達が世界を変えられるか。

今後のヒントを前出の外村氏から頂く。

「学ぶ」という言葉を「発見する」という言葉に置き換えてみよう。学ぶとは、過去の経験を踏まえたものだから。

「努力する」という言葉を「夢中になる」と言い換えてはどうだろう。努力は、目的を手段化する場合もあるから。

デンマークでは、TEACH(教える)という言葉は使わないという。なぜなら、教えるということは、すでにある解答を前提としているから。

これからは、未知の問題解決力、さらに新規の問題設定力が必要になるだろう。

スタンフォード大学は、大概上記のような考え方なんだろうなと推察しました。

世の中の課題(PAIN)。人為ミスによる車の事故をなくしたい。この課題を解決したとき、世界が変わる。シリコンバレーでは、本気で「CHANGE THE WORLD」(エリック・クラプトンのギターがここで脳内リフレインを繰り返します。)と思っている。

この信念も、サンフランシスコの快晴の天気のように、カラッとした清々しさがある。何が何でもやり遂げるというウェットな感じが全くない。

サンフランシスコの快晴の空を見上げたとき、底抜けに明るいアメリカの本質がわかったような気がしました。

 

 

日本M&A協会2017 サンフランシスコ&シリコンバレー国際会議 前編

はじめに ~ グーグル本社にて

 

先日、日本M&A協会主催の国際会議(サンフランシスコ&シリコンバレー)に参加致しました。

写真は、グーグル本社での1枚。お菓子の公園の中に、GOOGLEと書かれた自転車が眼前に。本能的に飛び乗り、写真を撮った次第。

グーグルの時価総額は、アップルに次いで2位。(ググッて再確認)

グーグル見学の前に、アップルの建設中の新社屋も見てまいりました。巨大な円盤の建物でした。

 

1.ハイウェイでの工夫

 

サンフランシスコからアップル、グーグルへと向かうハイウェイ。社員を運ぶ通勤用のバスに何台も遭遇。通勤中、仕事や睡眠できるように配慮しているという。実際、サンフランシスコのダウンタウンを散策している途中、バスストップでアップルやグーグルの社員らしき方も見かけました。

 

2.スタートアップ企業の最終目的とは?

 

前述したように、時価総額の1位と2位がシリコンバレーにあります。そして、アカデミックの中心、スタンフォード大学も当然ながら近くに。

多くのIT企業が、この周辺で創業します。これらの企業が継続を目的とはしていません。スタートアップ企業の最終目標は、この二大巨頭他シリコンバレーで成功しているIT企業にM&Aされること。開発した技術をアップルやグーグルに買収されることが彼らスタートアップ企業の最終形です。

 

3.現代のゴールドラッシュ

 

たくさんのエンジニアが、かつてゴールドラッシュで金鉱をめざし西へ向かったのと同様に、シリコンバレーへ集まります。物価も年々高くなり、家賃も高い。サンフランシスコ中心部は月額40万円以上からという。こりゃ、住めません。。。

おそらく、アップルやグーグルのような成功しているIT企業のエンジニアが住んでいるのでしょう。ただし、聴くところによると、年収の高い人の代替として、インド人を教育しているという。コストコントロールなのでしょうね。インド人は相対的に年収が低いですから。シリコンバレーの下剋上を垣間見ました。

 

むすびに ~ イノベーションの環境

 

スタンフォード大学を核としたシリコンバレーの付加価値集団。なぜ、西海岸なのでしょうか。

ヨーロッパの方々が東から入植。ネイティブのインディアンを追い立てて西へ向かい、たどり着いた西海岸。東にはヨーロッパの歴史がある。西には歴史がない。歴史がないからこそ、イノベーションが起こりやすい環境なのでしょうか。前例がないことが良い。

自動運転のテスラも、革新企業の一つ。来週はテスラの話をしたいと思います。

 

「リーダーシップのあり方」<356>

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ブログ(NO.355)で、人類は35億年の歴史を繋いできたと記したが、最近はある意味なにも進化していないような現実に接し無力感に襲われる。

 

自国や自分だけを最優先(○○ファースト)させる保護主義的な風潮。

 

日本海に接する北朝鮮は恐怖で国を統治し、日本海にミサイルを撃ち込んでくる。

 

今世紀最悪の人道危機といわれるシリアの内戦で、5年間で罪のない人が32万人亡くなり、人口の半分にあたる1.200万人が家を追われている。

 

国民の生活と財産を守るべきリーダーが地獄をつくっている。

 

独善的で自己崇拝する人に「偉いと思っているのはあなただけですよ」と言いたくなる。

 

人はその「言動」で考え方が露呈する。

 

また、飯塚毅TKC初代会長から教えていただいたことだが、「他人が自分のことを、どんなイメージで見ているかを自覚したことありますか。」の問い掛けは強烈だった。

 

「凡事徹底(当たり前で常識的なことを継続できる)」を貫いているかが大切な要素だ。

 

組織を乱す人間の共通点は、「感謝心の無さ」・「自己中心的な言動」・「報連相(報告・連絡・相談)に疎い」・「掃整時(清掃・整理整頓・時間厳守)にずさん」などが挙げられるが、私自身も常に自省してきたことでもある。

 

「上司は部下を知るのに3年かかる、しかし、部下は上司を知るのに3日あれば充分だ」との教えを思い出す。

 

私が実地で学んだ「リーダーシップ論」を、これまで金沢大学の講師(平成12年10月~平成26年3月)で13年間、北陸大学の客員教授(平成22年4月~平成26年3月)で4年間かけて伝えてきた。

しかし、実際は頭で無く、社会で経験して身体で覚えるしか無い。

 

 

「私が学んだリーダーシップのあり方」

 

場面に合ったリーダーシップのかたちを選択できる能力。

 

「リーダーシップの5つのかたち」

 

1、父権的リーダーシップ

 

父親の権威に似た人間力あふれたリーダーシップのかたち。

自らの行動で示し、背中で規範を示す姿勢。

 

2、独裁的リーダーシップ

 

ここぞというとき、反対を押し切っても決断する場合。

組織のトップは、日常的に内外の環境に適応して、業界の時流や情報などを知悉し的確に判断できる立場にあるからである。

 

3、民主的リーダーシップ

 

多数決で決めるやり方。

他の手段で決めるにはふさわしくない場合の最終手段。

 

4、話し合いのリーダーシップ

 

話し合いで決める。反対意見にも配慮して意思統一を図ったり、多くの意見を集約するのに適している。

 

5、放任的なリーダーシップ

 

何もせず事態を見守り、原因と対策を探る。

 

リーダーシップ(leadership)を広辞苑では、「指導者たる地位または任務。指導権。指導者としての資質・能力・力量・統率力。」とある。

 

孫子においては、「智」・「信」・「仁」・「勇」・「厳」の5つを挙げている。

アメリカ海軍の士官候補生読本においては、「忠誠」・「肉体的精神的勇気」・「信頼」・「宗教的信仰」・「ユーモアのセンス」・「謙虚」・「自信」・「常識」・「判断力」・「健康」・「エネルギー」・「楽天主義」の12を挙げている。

 

「ユーモアのセンス」は人間関係を豊かにするため大切ですね。

 

ものごとは真剣に対処しなければならないが、深刻に考えると良い結果は得られないから。

 

一方、我が国の大日本帝国陸軍の教範において、藤田十紀二は「高慢の品性」・「至深の温情」・「堅確な意思」・「卓越した識見」として、全体的な人間の能力を網羅している。

 

 

ブロイセン王国の軍事学者であったカール・フォン・クラウゼヴィッツは指揮官の才能として次の5つを挙げている。

 

1、知性と情熱を兼ねる高度な精神

 

2、危険を顧みず自身の行動に責任を負う勇気

 

3、不確実な事態における洞察力

 

4、洞察に基づく具体的な行動する決断力

 

 

自己の理念や価値観に基づいて、魅力ある目標を設定し、またその実現体制を構築し、人々の意欲を高め成長させながら、課題や障害を解決する行動が求められる。

 

リーダーの資質は、程度の差はあれ、訓練と経験で伸ばすことができ、そのプロセスは生涯続くのだろう。

 

 

写真…3/18に金沢駅「Rinto」で新規オープンしたスヌーピーの店のPR風景。

承継支援2017 クロスボーダー 弁護士×司法書士×社労士×中小企業診断士×税理士

弁護士、司法書士、社労士、中小企業診断士、税理士。それぞれの士業には、各々の得意分野があり、職域があります。

事業承継支援という観点から、5士業間のクロスボーダー(士業間を超えるという意味で使っています。)につき整理したいと思います。

 

整理の視点は4軸。

①経営権 & 財産権の承継

②親族内 OR 親族外承継

③フロー(損益計算、黒字か赤字か?)&ストック(貸借対照表、債務超過か否か?)

④家族関係(国家資格は関係ありませんが、すべての支援の土台)

 

この4つの視点を軸に、5士業の果たすべき役割が決まってきます。5士業の所轄官庁については、弁護士・司法書士ー法務省、社労士ー厚生労働省、中小企業診断士ー中小企業庁(経済産業省)、税理士ー国税庁(財務省)とそれぞれの国家資格、法律毎に所掌が分かれています。そして、支援対象のお客様の課題次第では、5士業の所掌が絡み合ってきます。

「木村家のファミリー・ヒストリー」<355>

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平成28年7月に83歳で亡くなった永六輔は、テレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「帰ろかな」をはじめ多数のヒット曲を作詩するなど多方面で才能を発揮した。

永六輔は、人は年齢を「35億○○歳」と言うべきが持論だった。

 

自分は人類が始まってから繋がって今があるからとの意味合いだ。

 

テレビの「ファミリー・ヒストリー」を見てると、今の自分は命を継いでくれた先祖があってのことには間違いないが、ルーツを登記簿・除籍簿や菩提寺過去帳・墓石などから調べるには手間がかかる。

 

私も先祖について、市役所に通い調べたり、昭雄兄さんにも聞いたりして、整理してみた。

 

高祖父(4代前)…木村吉左衛門(白山市平木町出身)

 

曽祖父(3代前)…木村助右衛門(1825年・文政8年~1889年・明治22年)

曽祖母…ソヨ

 

子供は長男・木村吉光(祖父にあたる。)、次男小太郎、長女・なつ。

 

時代背景…1823年に勝海舟が生まれた。

1890年・明治23年に大日本帝国憲法施行。

 

祖父…木村吉光(1857年・安政4年~1923年・大正12年、白山市茶屋町に居を構える。)

祖母…せ津(1868年・明治元年~1933年・昭和8年、吉光の後妻、父は中村磯右衛門)

 

時代背景…安政7年、桜田門外の変」において井伊直弼が殺害される。

 

父・木村喜作は現・白山市松任町で祖父・木村吉光と祖母・せ津の長男として明治32年1月4日に生まれた。

 

兄弟姉妹は姉・すなを、弟・友一、友作の三男一女。

 

木村吉光には先妻「いへ」がいて、その子供の次女「為」は安嶋政次郎と結婚して三人の男子が生まれた。

 

長男(安嶋理一郎)は地元企業の役員を勤め、次男(安嶋理吉)は国鉄工機部に勤務した。

 

三男(安嶋外男)は国鉄に勤め、松任駅長(昭和44年頃)で定年を迎えている。

長女(安嶋千鈴さん)が嫁いだ川畑啓司さんのお父さんは森喜朗元首相のお父さんと従兄弟(いとこ)同志である。

したがって、森先生と私は遠い姻戚関係にあたる。

 

また、私は平成26年12月より北陸税理士政治連盟の「税理士による岡田直樹後援会」の会長をつとめているが、岡田直樹参議院議員の奥さんは森喜朗先生の姪(弟の長女)である。

 

縁の不思議を感じる。

 

吉光の長男、父・喜作は、新潟県上越市の「二本木駅(スイッチ・バックの駅)」の駅長を最後に国鉄マンを定年で退いたが、弟・友一は東京都八王子市でバス会社を設立し、もう一人の弟・友作は明治大学を出て(旧)郵政省の部長まで勤めた。

姉の「すなを」は大正15年に金沢市幸町の清水一郎に嫁いだ。

子供が無く、私の姉の道子が養女になった。

道子は結婚せず、平成14年6月に交通事故で亡くなった。

 

 

父・喜作は定年で昭和29年4月に新潟県中頸城郡中郷村から故郷の白山市松任町に帰った。

私も小学六年生の春に中郷小学校から松任小学校に転校したが、訛りや方言に慣れるまでとまどったことを覚えている。

 

母、木村静子(旧姓、森田静子)は森田六三郎と「つね(旧姓北市屋)」の長女として明治39年7月25日に白山市美川町で生まれた。

「つね」が亡くなったあと六三郎は「ひな」と再婚し清と康子が生まれる。

先日、90歳になられた森田康子さんを介護施設に見舞ってきた。

 

つねの両親は北市屋甚六と「えと」で、現・白山市美川町の出身である。

 

北市屋家の墓地は美川駅の近くにあり兄は何度かお参りしたそうだ。

 

父・木村喜作は母・森田静子と昭和2年3月25日に結婚した。

父が国鉄に勤務していて、母・静子の父・森田六三郎が倶利伽羅駅に勤務していた関係で出会ったようだ。

 

私は三男(昭雄、春雄、光雄)三女(敏子、道子、富子)の末っ子として生まれた。

 

戦争の混乱の中、私の姉、富子(三女)は昭和13年に生後4か月で、また春雄(次男)は昭和16年に生後16日で亡くなっている。

両親の悲しみははかりしれない。

その2年後の昭和18年(終戦の2年前)に私が生まれている。

 

命日は、喜作4月7日(享年80歳)、静子は6月10日(享年94歳)。

 

誰にでも、ファミリー・ヒストリーがあり、先祖のルーツを調べると、また運命の不思議さを感じるものだ。

 

以前、「木村の姓」のタイトルで3年前のブログ(NO.240)に書いたが、ルーツに思いを馳せるのもロマンがあって良いものだ。

 

先祖は、戦禍・自然災害・人的災害(犯罪)・交通事故・病気・生活苦などのリスクと闘って我々を残してくれた。

 

「35億○○歳」の表現は、まさに「人類、皆兄弟」である。

 

 

写真…粟津温泉「法師」玄関庭にある「雪中の、佐渡の赤石」(第33回・石心「湯めぐり碁游会」)。

公的支援の鳥瞰図2017

先日、「富山県よろず支援拠点 平成28年度 第2回 支援機関連携拡大ネットワーク会議」に参加するため、公益財団法人 富山県新世紀産業機構(TONIO)を訪れました。

先ずは、板橋区立企業活性化センターの中嶋センター長から「中小企業を救う東京・板橋モデルー事業性評価と資金繰り作成がポイント」というタイトルの講演を拝聴する。自身の倒産経験をコンサルティングに活かした支援内容は参考になりました。

 

写真の図は、よろず支援拠点全国本部の塩田全国支援ネットマネージャーが説明の際に用いた公的支援機関の鳥瞰図です。

図の左側は、中小機構(国・中小企業庁)、県の支援センター、商工会、商工会議所の支援機関を列挙しています。

この図の左からの矢印は、1,661商工会(経営指導員 4,104名)の84万会員、515商工会議所(経営指導員 3,448名)の125万会員に対し、支援を行ってることを意味しています。商工会議所の歴史は、明治時代からであり、渋澤栄一が設立を主導しました。

 

一方、図の右からの矢印は、よろず支援です。支援対象は、女性・若者・高齢者、福祉法人・医療法人・NPO、一次産業(農業・漁業・林業)、商工会や商工会議所の非会員です。よろず支援の歴史は、2014年からであり、比較的最近です。

 

中小企業者の数は、昭和61年の530万社をピークに徐々に減り、平成28年度は380万社となっております。

この5年間で40万社減少し、起業85万社に対し、廃業が125万社と廃業が起業を完全に上回っています。

中小企業庁、経済産業省は、相当な危機感を持っており、写真の図のように、従来の左からの支援に加え、右からのよろず支援を強力に推進しようとしています。

 

 

マイナビ2018

3月3日(金)北國新聞の朝刊時のチラシに「新卒社員募集要項」を掲載しました。(右の写真)

3月1日(水)より、昨年に引き続き、マイナビ2018にて就職情報を公開しております。

 

基本的に2名、良い人がいればもう1名、採用できればと思っております。

会社説明会は、3月29日(水)、4月5日(水)、6日(木)いずれも13時からを予定しております。

 

以下のURLより「マイナビ2018」webサイトがご覧いただけます。

https://job.mynavi.jp/18/pc/search/corp207908/outline.html

 

「浅田恒博先生のお世話で、第12回・七人の侍の会」<354>

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「七人の侍の会」とは、私が平成15年9月に日本税理士国民年金基金理事長に就任したとき、その年の資産運用委員会のメンバー七名で「七人の侍の会」と称したのが始まりである。

 

当時の資産運用委員会のメンバーは特にパワフルで、平成16年度は国民年金基金の全基金の中で、第1位の運用成績を挙げたのだから大したものだ。

 

平成17年以来、持ち回り当番で親交を深めていて本年で12回目となる。

 

本年の世話人、浅田恒博先生は2年前から近畿税理士会会長に就任している。

また、昨年秋に藍綬褒章を受章し1月29日に帝国ホテル大阪で祝賀会が開催された。

 

七人の侍の中には、2年前から就任している日本税理士会連合会の会長、神津信一先生(東京税理士会会長を経て)もいる。

 

7万6千人の税理士業界の東西のリーダーとして活躍しておられるのは誇らしい限りである。

 

11:30に七名が新大阪駅の「千成びょうたん」前に一年ぶりに集合した。

 

今回の企画は2月26日~27日に「抱腹絶倒、なにわの旅」と題されて、初日は「天満天神の繁昌亭」で上方落語を、2日目は、「なんばグランド花月」で吉本新喜劇を観賞した。

とくに上方落語には感動した。

歴史に裏打ちされた奥深い噺家の伝統話芸はすばらしい。

 

食事は「つるとんたん宗右衛門町店」と「お好み焼き千房千日前本店」、食い倒れの味を堪能した。

 

法善寺横町や水掛不動尊にも訪れた。

 

 

浅田恒博先生のお父さん浅田博先生(大正10年~平成2年・享年68歳で叙位叙勲を受ける。)は昭和61年7月(30年前)に近畿税理士会会長に就任されているので、親子二代の会長である。

 

浅田博先生は昭和17年1月に徴兵され、昭和18年12月に海防艦「三宅」に電測科の任務で乗艦し、1年9か月の戦闘を経て、終戦で奇跡的に帰港した。

 

褒章受章祝賀会で浅田博先生が昭和60年3月に「海防艦三宅戦記~輸送船団を護衛せよ~」を出版されたと聞き、ネットで取り寄せ拝読した。

 

その記述の中の一部を要約してご紹介する。

「三宅(海防艦)こそ、まさに日本海軍が海上護衛戦の新戦力として渇望した新鋭海防艦の一番艦である。

乗組員は251名。

海防艦三宅は他のどの艦艇より勝り、また操縦性能も良く、一部に浸水しても沈まない構造だ。

 

大東亜戦争が決定された昭和16年11月、日本の生存と戦争遂行のためには海上交通路の確保が絶対条件であり、そのためには、米潜水艦と航空機による海上交通破壊戦に対抗する専用護衛艦が緊急に必要となった。

終戦までに171隻が建造された。

 

だが、実際に船団護衛に従事し作戦に参加したのは百何隻。

そのうち、ほとんどの101隻が敵潜水艦や敵機の餌食となり海底に消えていった。

 

三宅は新鋭艦であったが、致命的な欠陥は速力が遅いことである。

米潜水艦の水上速力が21ノットであり、対潜護衛艦艇としては、すでに本質的要件に欠けていたといえる」

と書かれている。

 

それでも満身創痍ながら呉軍港にたどり着いた三宅のことを「三宅の爽やかな生涯に心から共感を覚える」と結んでいる。

 

人間にとって最大にしてかけがえのない財産は、人間関係だと痛感する。

 

浅田恒博先生、お世話になりありがとうございました。

 

 

写真…大阪・天神天満宮の梅(2/26)