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「藤井泉先生のこと」<621>

 

群馬県の藤井経営代表、藤井泉先生が6/5に満88歳で生涯を終え、7/27に高崎市のGメッセ群馬で偲ぶ会が行われ参列した。

思えば、2014年1月に77歳で亡くなられた奥さまの美智代さんとともに永いお付き合いをいただいた。

本年3月まで仕事をされていたが入院しても仕事のことを気にされ生涯税理士を貫かれた。

先生は横浜市生まれ、慶應大学医学部に入学され医師を目指したが、家庭の事情で法学部に転部し.31歳で税理士を登録し、お母さまの地元の群馬県伊勢崎市で開業された。

 

偲ぶ会は井野俊郎群馬2区衆議院議員が実行委員長、弔辞は、伊勢崎市臂泰雄市長やMMPG川原丈貴理事長が述べられた。

 

先生はゴルフがお上手で、ご一緒したこともあり、海外旅行でもお酒を酌み交わした。

群馬県名産の下仁田ネギを永年頂いた。

 

喪主である御子息の潤さんとも久しぶりに挨拶させていただいた。

 

藤井泉先生のご冥福を心からお祈りいたします。

 

(写真)

・藤井泉先生偲ぶ会

3枚目の写真はMMPG会議(1990年3月の34年前)で右から菱村氏(大阪)、藤井氏(群馬)、浅沼氏(栃木)、佐藤氏(名古屋)、私(47歳、常務理事中部ブロック長のとき)。

「第68回日本税理士会連合会定期総会」<620>

25日11時から日本税理士会連合会の顧問相談役会が帝国ホテルであり出席した。

その後、太田直樹日税連会長(東海会)の最初の定期総会が開催された。

席では左に千葉会石井幸夫相談役、右に名古屋会大西孝之相談役。

日税連では現在、顧問(会長経験者)2名(池田隼啓氏、神津信一氏)、相談役(副会長経験者)51名が就任している。

名簿順として私は相談役の10番目に位置し、出席者33名の中では4番目。

3番目の金子秀夫相談役(東京会)は私と同期で本年88歳の米寿を迎えられた。

総会では顧問相談役の出席者が紹介され立礼する。

会務報告で本年の懲戒処分者が38名だった一方、税理士試験受験者数が昨年より4千人増加し3万2千人になったとのことだった。

総会時の税理士会員数は80,813名。

 

定期総会や懇親会でご来賓の西田昭二総務大臣政務官(石川3区衆議院議員)にお会いしたほか多くの先生方と親交を交わした。

 

 

(写真)

1、日税連顧問相談役懇談会。

2、日税連定期総会スナップ。

3,税理士会広報キャラクターの、ぬいぐるみ「にちぜいくん」の前で神津顧問、浅田相談役と。

 

 

「第49期碁聖戦」<619>

7月13日に囲碁七大タイトル棋戦の一つ、碁聖戦が金沢の北國新聞会館で開催された。

井山裕太碁聖に芝野虎丸名人が挑戦。

12日に金沢ニューグランドホテルで前夜祭があり、協賛社を代表して挨拶させていただく。

「井山碁聖と芝野虎丸名人をお迎えして第49期碁聖戦が開催されますこと心からお祝い申し上げます。

最近、上映された「碁盤斬り」で北陸の囲碁ファンも盛り上がっております。

また、能登半島地震から半年経ち、被災した方々も楽しみにしていると存じます。

金沢と囲碁の縁についてのお話です。

今から409年前、加賀藩の三代藩主利常が京都寂光寺住職の囲碁家元本因坊算砂を3年間指南役として招きました。

そのお礼に領地を与えられ、そこに今も残る本多町の本行寺を創建して初代住職に就任した歴史があります。

むすびに、この度の碁聖戦を主催されました北國新聞社、日本棋院、新聞囲碁連盟に感謝申し上げると同時に、両先生には熱戦を通して北陸に元気を与えていただけますよう祈念して挨拶といたします。」

 

2016年、碁聖戦に盤石を提供してから9年経つ。

碁盤には2016年当時にタイトル七冠を独占し国民栄誉賞を受賞した井山裕太七冠に「雅」の揮毫をいただいた記念すべき碁盤である。

 

13日の対局日は大阪の浅田恒博税理士叙勲祝賀会に出席のため、対局立ち会い陪席は欠席。

 

対局結果は井山碁聖の連勝となった。

 

立会の羽根直樹九段、記録の寺田柊太棋士、大盤解説の林漢傑棋士、新聞解説の関航太郎棋士にもお会いした。

 

(写真)

1、第49期碁聖戦の三画像。

2、13日の北國新聞朝刊記事。

「金沢国際囲碁交流協会の思い出」<618>

 

 

 

 

 

 

5月26日をもって金沢国際囲碁交流協会の事業が30周年記念総会をもって石川県囲碁協会に引き継がれた。

私が入会したのは2011年ごろ、同期の相田宣昭さん(2015年6月にご逝去)からの紹介だった。

以来13年、いろいろ思い出される。

 

・2011 入会

・2012.5   理事就任

・2014.5   協会20周年、謝依旻女流名人に指導受ける。

・2014.11 第4回中日韓姉妹都市囲碁交流大会で蘇州〜張家港〜崑山へ。

越仲先輩とカバン探しハプニング。

・2016.6   佃優子副理事長企画のツアーで、カナダトロント〜ナイアガラ〜バッファローへ。

トロント発の電車で3名の途中下車ハプニング。

到着時刻になったので勘違いして停車駅に降りたら暗い無人駅だった。

タクシーでホテルへ。

・2018.6   佃亜紀子五段と行く台湾ツアーで棋聖模範棋院へ

・2019.2 プライベートで台湾旅行中の合い間に棋聖模範棋院を再訪問。

・2019.5   副会長

・2019.5   25周年記念総会で全州市囲碁協会と交流。懇親会で閉宴挨拶。

・2019.7 「第4回ジャパン碁コングレス2019in金沢」で開会式に参席。

・2023.11 「アジア囲碁の祭典」で碁苦楽会五将として台湾チームと対局。

・2024.5  30周年記念総会の懇親会で開宴挨拶が最後の役目。

折しも、大相撲五月場所の千秋楽で大の里が初優勝した直後だった。

 

 

最近、囲碁界の人口が減少

していると聞く。

組織は全体のパイが拡大しないと人は集まらない。

ファンやスポンサーの支援が必要だ。

比較するのは適当でないかも知れないが、野球やゴルフの賞金の高さを見ると分かる。

大谷翔平や藤井聡太が良い例だ。

お金だけが人生ではないが、お金も夢を持たせる要素であるだろう。

囲碁界もスポーツ市場の原理に基づく改革が必要だと思う。

次世代が夢を持ちスターが次々と輩出されることを願っている。

 

 

(写真)

・石川県囲碁協会の石坂修一会長記事(7/3、北國新聞夕刊)。

・「ぜいたいきょう」40周年総会が雅叙園(目黒)で開催、久しぶりに相談役として出席。(6/26)。

 

「第44回北陸税理士会金沢支部定期総会」<617>

 

24日、金沢支部定期総会がホテル日航金沢で開催された。

木村岳二支部長、1期目の定期総会である。

この一年は、6月コロナの五類移行翌月就任、元日能登半島地震の発震、税務では6月税務行政DX(ディジタルインフォメーション)化、10月インボイス制度の開始、1月電子帳簿保存の義務化などの変動があった。

 

コロナ明けと物価高騰で支部財政が圧迫し、会費増額が喫緊の課題だ。

 

顧みると私が金沢支部長に就任したのが31年前だから

第13回定期総会になる。

 

光陰矢の如し。

 

永年勤続職員表彰では、当社の鳥畠誠人さん、茶野下貴寛さん、海道隆志さんが10年表彰を受けられた。

23名中には、当社の元社員もおられ懐かしい。

20年表彰の鍔啓子さん(のばた合同税理士法人)、10年表彰の高井理恵さん(旧姓平野さん、中山会計)にもお会いした。

 

出席会員の野畠浩美税理士(旧姓今村)、瀧田仁税理士、岩多剛税理士も元社員である。

 

皆さんのご活躍を祈念しております。

 

(写真)

1,金沢支部役員

2,ご来賓

3,永年勤続職員表彰者

 

 

 

 

「石税協50年表彰」<616>

私は30歳で税理士試験に合格し、31歳の1974年に税理士登録してから半世紀の50年を迎えた。

6月12日、石川県税理士協同組合の第61回通常総会で50年表彰を受ける。

これも、家族や私を支えていただいた先輩や同僚のおかげだ。

思い出は尽きない。

石税協理事長に就任したのが1997年6月(54歳)だから、その時からも27年経過したことになる。

 

光陰矢の如しを実感したひとときだった。

 

 

(写真)

野村和宏石川県税理士協同組合理事長から50年表彰を受ける。

「映画▪不撓不屈を観賞」<615>

 

                                             6/3、ホテル金沢でTKC北陸たけし会が主催した「不撓不屈」の映画を18年ぶりに再観賞し感涙する。

 

滝田栄と松坂慶子の夫婦役演技が素晴らしい。

この映画はTKC全国会を創設した飯塚毅初代会長の1963年に勃発した「飯塚事件」をもとに2006年に映画化されたものである。

 

私が税理士事務所を開業して31年目(63歳)に観賞しているが、18年経過して感動が生々しく甦った。

人間に信念がいかに大切かを思い知らされる映画だ。

 

懇親会で冒頭指名されたので、飯塚毅初代会長の思い出をお話しした。

 

まず、映画にも出てくる長男の飯塚真玄(まさはる)氏とは私と誕生日が11日違う同年で、会うたびに声をかけていただいている。

以前、金沢に来られた秋季大学の挨拶の中で、私と長男岳二(実行委員長だったか)を引き合いに出していただき光栄でした。

お互い、同じ時代を生きて気脈が通じる思いです。

映画をあらためて見て、真玄氏も飯塚事件でご苦労されたんだなと思い知らされました。

 

飯塚毅初代会長との思い出は、1982年10月(41年前)にTKC北陸会が近畿会から分離独立したときに司会を仰せつかったが、そのときにご指導いただいたお言葉である。

当時、TKC出版部の高橋社長から促されて投稿し記念誌「激流に遡る」に掲載されています。

表題は「動中の禅は、静中の禅に優る」で、意味合いは「静かに座禅を組むのも良いが、社会貢献や生活の動きの中で瞑想する方が優るんだよ」

 

参加者の皆さんと一緒に、信念の凄さについて考えたひとときでした。

 

(写真)

案内書、映画あらまし、参加者、たけし会会長の能登宏和先生と。

 

「金沢国際囲碁交流協会の解散と引き継ぎ」<614>

 

5月26日、金沢国際囲碁交流協会の設立30周年総会と記念大会がKKRホテル金沢で開催された。

この総会をもって当協会の事業は新しく発足した石川県囲碁協会の国際交流部に引き継がれる。

公開記念対局は寺田柊汰三段と鈴木紀之北國アマ名人の対局、解説は田尻悠人五段、聞き手は佃優子アマ六段。

ルール、各持ち時間30分で切れ負け。

時間切れ寸前に攻め合いとなり1手違いで寺田三段の勝ちとなる。

その後の指導碁で田尻悠人五段から四子局で指導いただく。

田尻先生から「盤面で10目ほど足りません、強くなられましたね」と褒められ、有り難く記念品をいただく。

懇親会で副会長最後のお手伝いとして乾杯の音頭をとらせていただいた。

 

丁度、大の里が初幕内優勝を果たした直後でした。

 

前日の25日には石心で「世代間交流囲碁大会」があり、準優勝だった。

3回戦は佃亜紀子六段の指導碁となり、四子局で負けて優勝出来なかった。

分断と死活に気を付けて、辛抱強く大きく攻めるようにしなければならない。

 

囲碁はボケ防止のため永く続けてゆきたい。

 

 

(写真)

1、26日▪金沢国際囲碁交流協会総会(4枚)

3枚目、田尻悠人五段との指導碁。

2、25日▪世代間交流囲碁大会(2枚)

「北陸税理士会が直面する課題」<613>

5/14日、北陸税理士会の顧問会が開催された。

年2回の開催だが、毎回時代の変化を感じる。

 

議題1、令和6年能登半島地震に対する取り組み。

 

▪1/2、災害対策本部の設置

▪現地視察

▪安否確認

▪能登半島地震被災者支援相談会を実施

▪義援金1004万円を石川・富山の会員へ被災に応じて送金

▪日税連から約1億6千万円の支援金をいただき、被災者に3万円の見舞金を、残りは特別会計で配分を検討する。

 

会員1‚460名に対しアンケートし、回答のあった725名の被害結果。

 

▪事務所

重症以上 七尾で職員1名

軽傷 輪島1名

全壊 七尾1名

中規模半壊 輪島1名

準半壊 石川県6名

一部損壊 石川県61名、富山県11名

 

▪自宅

全壊 1名

大規模半壊 石川県3名、富山県1名

半壊  石川県6名

準半壊 石川県4名

一部損壊 石川県48名、福井県1名、富山県18名

 

▪事務所器具備品

全壊 石川県13名、富山県3名

一部損壊 石川県48名、福井県2名、富山県14名

 

▪自宅家財

全壊 石川県7名、富山県3名

一部損壊 石川県45名、福井県1名、富山県12名

 

▪事務所車両

一部損壊 石川県4名

 

議題2、令和6年度重点施策

1、能登半島地震支援

2、中小企業支援

3、税制改正建議

4、非税理士行為排除

5、税理士業務のデジタル化

6、大学への寄附講座

7、インボイス制度の周知

8、会務運営のDX化

9、電子申告やキャッシュレスの普及

10、税務支援

11、書面添付の普及

12、対内対外広報

13、公益的業務への参画

14、個人情報とマイナンバーの運用

 

提案事項

北陸税理士データ通信協同組合の設立

 

瀬戸順一会長はじめ執行部のご苦労に対し、感謝申し上げます。

 

 

(写真)

1、近所の砂細工。

「半寿のこと」<612>

富田喜久雄先生(高岡市の整形外科医師)のFB(フェイスブック)を折に触れ拝見している。

5月3日の投稿は綿貫民輔元衆議院議長の著書を読んでの投稿です。

 

「半」の字を分解すると漢数字の「八十一」となる訳で、「半寿」は人生のまだ半分しかなりません。

先ずは、私も目指します。

御本人は97歳❗(現在の綿貫民輔先生ご年齢)ですが、まだ半分ちょつとなんですね~。

 

81歳になる私は、思わず「丁度、私も半寿となりました。」とコメントさせていただいた。

そして、富田先生からもご返信いただく。

 

綿貫民輔先生のことは、親しくさせて頂いていた高岡市の税理士高田照久先生が綿貫先生の秘書をされていたことから身近に感じます。

 

高田先生は昨年5月に他界され寂しい思いをしていたが、思い出がよみがえった。

 

綿貫先生は、1927年富山県の現・南砺市に生まれ、生家は代々、井波八幡宮の宮司を務めており、自身も15代目にあたる神職である。

 

慶應義塾大学を卒業後、1953年、現・トナミ運輸に入社後、28歳で社長になり、1959年に富山県議会議員に当選、1969年に衆議院議員に当選し、13期に渡って議員を努め2009年(81歳)に落選し政界を引退した。

 

高田照久先生が他界される数年前に私を井波八幡宮や大牧温泉に案内してくれたことが思い出される。

 

(写真)

1、富田喜久雄先生のフェイスブック投稿記事。

2、春の花々。