2015/02/05
「旅立つ人」<279>
「旅立つ人」<279>
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知り合いの方が亡くなるのは悲しいことだ。
昨年末に白坂美代子さん(64歳)の親族からハガキをいただいた。
その中に「美代子は星となって旅立ちました」と。
白坂さんは私が北陸税理士会会長のときに仲間と良く行った銀座「アンダンテ」のママさん。
片岡元日税連会長や山岡元北陸税理士会会長も馴染みの店だった。
その後、銀座の店を閉めてからエステやパン工房を始めた。
「利き酒師」の資格もあり、私に新潟の「加賀の井」をいただいたこともある。
私にも気さくに接していただいていて、昨年の7月に清水元関信税理士会会長を訪ねたときにお会いしたばかりでした。
そのときに美味しいパンをいただいた。
気配りの素晴らしい方でした。
ご冥福をお祈りいたします。
1月に全日本病院協会副会長の安藤高夫先生(55歳)のご母堂、安藤明子様(渋谷区松涛のセントラル病院理事長、85歳)の病院葬のご案内をいただく。
25日に日帰りで青山葬儀所にお参りしお悔やみを申し上げる。
安藤高夫先生は日本医業経営コンサルタント協会の外部理事として親しく接していただいた。
また安藤先生は2010年の参院選比例区に出馬し18位の次次点で惜敗している。
2016年参院選に自民党比例区で再挑戦か。
葬儀でご母堂の安藤明子様が著した「夢はかぎりなく~人間ドックから健労へ~」の著書をいただく。
安藤明子先生は、波乱な人生を歩まれた。
昭和4年…福岡県八幡市にて山本菊雄医師の三女として生まれる。
昭和27年…医師国家試験に合格。
昭和30年…安藤忠夫医師との結婚を父から反対され家出し、東京江東区北砂町で診療所を開設。
昭和32年…結婚を許される。
昭和33年…阿佐ヶ谷病院を開設。
昭和36年…日本初の老人医療専門病院「永生病院」を開設。
昭和39年(東京オリンピック)…渋谷区松涛にホテル形式の人間ドック専門の「セントラル病院」を開設。
看護婦の白衣をピンクにし物議をかもす。
銀座バー「姫」の山口洋子(直木賞)と知り合い、吉行淳之介、五味康祐、梶山季之、戸川昌子、清川虹子、渥美清など作家や芸能界、政治家が人間ドックを利用。
平成元年…夫忠夫氏が死去。
平成21年…国保連合会「南多摩病院」を承継。
病院葬では三人の方の感動的な弔辞があった。
ご冥福をお祈りいたします。
1月下旬にアイテック株式会社の役員から、代表取締役の関隆夫さんが71歳で亡くなったとの電話をいただく。
関隆夫さんは私と同年代で親交があり、平成25年9月に私の叙勲祝賀会にもご出席いただいた。
日本医業経営コンサルタント協会の顧問に就任していただいていた。
私の会長就任(平成23年3月)の際には、私が役割を果たしやすいように副会長の立場で各方面に根回ししていただいていたようだ。
関隆夫さんは何事にも的確な判断をされ、人脈も多く鴨下一郎衆議院議員の後援会会長をつとめていた。
後援会行事で一緒にゴルフをしたことを思い出す。
また、新川の「ととや」に何度もご馳走になった。
アイテックは中東の医療施設のコンサルタントを日本政府のODA事業に参加したり、地方公共団体の医療福祉機関をはじめ多くの民間機関のコンサルティングとエンジニアリングを行ってる日本トップクラスの医業経営コンサルタント会社である。
ご子息の関丈太郎さんは昨年12月に代表取締役社長に就任されている。
隆夫さんの理念を引き継ぎ、社業の更なるご発展とご活躍を願っております。
2月24日の告別式に築地本願寺へ参ります。
ご冥福をお祈りいたします。
写真…サザンカ(1/29、鞍月パーク)
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初めまして。実は私もアンダンテに通っていました。きっかけは1990年代、私は目黒区のパチンコ店の店員だったのですが、常連さんの中に美代子ママがいました。ある時、ママから「銀座で、お店をやっているから飲みに来なさいよ」と言われ、月に1、2回ですがアンダンテが閉店する迄、通っていました。その後、殆ど交流は無かったのですが…今日(3月28日)の朝、美代子ママが夢に現れたのです。ママが御葬式の案内を私に渡しに来て、少し話をしたところで目を覚ましたのですが…
物凄く不吉な予感がしました。スマホで「アンダンテ白坂美代子」を検索したところで木村さんのブログに辿り着き、美代子ママが2015年に亡くなっていた事を初めて知りました。ショックでした…「ウッチャン、何やってんのよ!」と言いに来たんでしょうね。遅ればせながら御冥福を祈っている今です。失礼いたしました。