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遊魚動緑

  • 「木村家のファミリー・ヒストリー」<355>

    2017.03.15
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    平成28年7月に83歳で亡くなった永六輔は、テレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「帰ろかな」をはじめ多数のヒット曲を作詩するなど多方面で才能を発揮した。

    永六輔は、人は年齢を「35億○○歳」と言うべきが持論だった。

     

    自分は人類が始まってから繋がって今があるからとの意味合いだ。

     

    テレビの「ファミリー・ヒストリー」を見てると、今の自分は命を継いでくれた先祖があってのことには間違いないが、ルーツを登記簿・除籍簿や菩提寺過去帳・墓石などから調べるには手間がかかる。

     

    私も先祖について、市役所に通い調べたり、昭雄兄さんにも聞いたりして、整理してみた。

     

    高祖父(4代前)…木村吉左衛門(白山市平木町出身)

     

    曽祖父(3代前)…木村助右衛門(1825年・文政8年~1889年・明治22年)

    曽祖母…ソヨ

     

    子供は長男・木村吉光(祖父にあたる。)、次男小太郎、長女・なつ。

     

    時代背景…1823年に勝海舟が生まれた。

    1890年・明治23年に大日本帝国憲法施行。

     

    祖父…木村吉光(1857年・安政4年~1923年・大正12年、白山市茶屋町に居を構える。)

    祖母…せ津(1868年・明治元年~1933年・昭和8年、吉光の後妻、父は中村磯右衛門)

     

    時代背景…安政7年、桜田門外の変」において井伊直弼が殺害される。

     

    父・木村喜作は現・白山市松任町で祖父・木村吉光と祖母・せ津の長男として明治32年1月4日に生まれた。

     

    兄弟姉妹は姉・すなを、弟・友一、友作の三男一女。

     

    木村吉光には先妻「いへ」がいて、その子供の次女「為」は安嶋政次郎と結婚して三人の男子が生まれた。

     

    長男(安嶋理一郎)は地元企業の役員を勤め、次男(安嶋理吉)は国鉄工機部に勤務した。

     

    三男(安嶋外男)は国鉄に勤め、松任駅長(昭和44年頃)で定年を迎えている。

    長女(安嶋千鈴さん)が嫁いだ川畑啓司さんのお父さんは森喜朗元首相のお父さんと従兄弟(いとこ)同志である。

    したがって、森先生と私は遠い姻戚関係にあたる。

     

    また、私は平成26年12月より北陸税理士政治連盟の「税理士による岡田直樹後援会」の会長をつとめているが、岡田直樹参議院議員の奥さんは森喜朗先生の姪(弟の長女)である。

     

    縁の不思議を感じる。

     

    吉光の長男、父・喜作は、新潟県上越市の「二本木駅(スイッチ・バックの駅)」の駅長を最後に国鉄マンを定年で退いたが、弟・友一は東京都八王子市でバス会社を設立し、もう一人の弟・友作は明治大学を出て(旧)郵政省の部長まで勤めた。

    姉の「すなを」は大正15年に金沢市幸町の清水一郎に嫁いだ。

    子供が無く、私の姉の道子が養女になった。

    道子は結婚せず、平成14年6月に交通事故で亡くなった。

     

     

    父・喜作は定年で昭和29年4月に新潟県中頸城郡中郷村から故郷の白山市松任町に帰った。

    私も小学六年生の春に中郷小学校から松任小学校に転校したが、訛りや方言に慣れるまでとまどったことを覚えている。

     

    母、木村静子(旧姓、森田静子)は森田六三郎と「つね(旧姓北市屋)」の長女として明治39年7月25日に白山市美川町で生まれた。

    「つね」が亡くなったあと六三郎は「ひな」と再婚し清と康子が生まれる。

    先日、90歳になられた森田康子さんを介護施設に見舞ってきた。

     

    つねの両親は北市屋甚六と「えと」で、現・白山市美川町の出身である。

     

    北市屋家の墓地は美川駅の近くにあり兄は何度かお参りしたそうだ。

     

    父・木村喜作は母・森田静子と昭和2年3月25日に結婚した。

    父が国鉄に勤務していて、母・静子の父・森田六三郎が倶利伽羅駅に勤務していた関係で出会ったようだ。

     

    私は三男(昭雄、春雄、光雄)三女(敏子、道子、富子)の末っ子として生まれた。

     

    戦争の混乱の中、私の姉、富子(三女)は昭和13年に生後4か月で、また春雄(次男)は昭和16年に生後16日で亡くなっている。

    両親の悲しみははかりしれない。

    その2年後の昭和18年(終戦の2年前)に私が生まれている。

     

    命日は、喜作4月7日(享年80歳)、静子は6月10日(享年94歳)。

     

    誰にでも、ファミリー・ヒストリーがあり、先祖のルーツを調べると、また運命の不思議さを感じるものだ。

     

    以前、「木村の姓」のタイトルで3年前のブログ(NO.240)に書いたが、ルーツに思いを馳せるのもロマンがあって良いものだ。

     

    先祖は、戦禍・自然災害・人的災害(犯罪)・交通事故・病気・生活苦などのリスクと闘って我々を残してくれた。

     

    「35億○○歳」の表現は、まさに「人類、皆兄弟」である。

     

     

    写真…粟津温泉「法師」玄関庭にある「雪中の、佐渡の赤石」(第33回・石心「湯めぐり碁游会」)。

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    • 今日、またよろしく。
      私たちは、祖先の代々からのタスキを、駅伝のように繋いでいるのですね。しっかりした人生で、未来の末裔に誇れるタスキにしたいものです。

    • 先祖の興味もありますが、自分が行動していく方向によって子供達や孫たちにも影響を及ぼし、私のファミリーヒストリーが形成されていくのだと思いますと、立派なものでなくても恥ずかしくない精一杯生きていく姿を
      残していく使命を感じます。
      木村先生のヒストリーを拝見しまして、改めて、いま、生きさせてもらっていることに感謝しなければならないと、実感しました。

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