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遊魚動緑

  • 「北國囲碁まつり」<371>

    2017.08.25
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    「第42期碁聖戦記念・北國囲碁まつり」が8月18日~19日に開催された。

     

    予定としては碁聖戦第4局の対局だったが、井山裕太碁聖が5番勝負の3局までの全局、山下敬吾九段を下し碁聖6連覇したため「北國囲碁まつり」となった。

     

    18日には前夜祭が行われた。

     

    あいさつで、砂塚北國新聞常務の後に協賛社を代表して私に指名ありあいさつさせていただいた。

     

    初代本因坊算砂と金沢市本多町の本行寺にまつわる話をした。

     

    中野寛也九段、飛田早紀初段とのトークショーで、井山碁聖は全七冠復帰に挑む名人戦に向けての決意を示した。

     

    懇親会のあと、割烹で井山碁聖の横で楽しいひとときだった。

     

    19日は抽選による指導対局と井山碁聖と中村有佑さん(金大付属高校1年)の公開記念対局が行われた。

     

    碁盤は昨年の碁聖戦に続いて私が提供した。

    碁盤の裏には井山碁聖が昨年197日間七冠を保持していた7月にいただいた七冠の署名がある。

     

    対局は3子のハンディを付けて行われ、中野寛也九段が大盤解説、飛田早紀初段、佃優子アマ六段が聞き手を務めた。

     

    私のあいさつの中で話した初代本因坊算砂についてさらに調べて見た。

     

    僧名は「日海」で1559年京都生まれ、1623年(64歳)没。

    京都の寂光寺2世。

     

    1607年、江戸桜田の伊達正宗邸で、家康の臨席のもと算砂らの碁会が催された時、これを奉行したのが加賀藩老中の本多正信だった。

     

    1615年(元和元年)4月、大坂夏の陣による豊臣家滅亡の後、算砂は加賀藩前田家の求めに応じて金沢に出向き、2年間過ごしている。

     

    算砂は1578年に織田信長と会い、信長から名人と称えられた。

    名人の始まりとされている。

     

    1582年、本能寺の変の前夜、信長の御前で三コウという珍しい形ができ無勝負となり、不吉な前兆とするのはこの時からである。

     

    1585年、豊臣秀吉の御前試合で優勝する。

    1603年、徳川家康と五子で対局している。

    家康の指示で幕府公認のプロ棋士となっている。

     

    算砂は加賀藩主、前田利常を指南し金沢本多町に寺地を賜り1617年に本行寺を創建した。

     

    本行寺に行くには、片町から小立野方面の途中の思案橋信号を左に入ったところ。

     

    寺に入ると、すぐ右手に「本因坊第一世算砂之碑」があり、「第二十一世秀哉謹書」」とある。

     

    本因坊秀哉(1874年~1940年・66歳)は家元本因坊家の21世で、終身名人制の最後の名人。

     

    囲碁は四千年ぐらい前の中国と云われている。

    三国志の英雄たちも「琴棋書画」を身につけるため囲碁をたしなむ。

     

    日本への伝来は5世紀ころ朝鮮を通してきた。

    紫式部の源氏物語にも囲碁の場面がある。

     

    囲碁を生涯の趣味として楽しんでいきたい。

     

    写真…井山裕太碁聖、飛田早紀初段との会席。公開記念対局の様子。

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